青山 椒

思い出したことなどを。

青山 椒

思い出したことなどを。

最近の記事

つづき3

高校生にもなって、おもちゃの銃をたくさん持っていたとなると、ずっとガンマニアだったのかと思われるかもしれないが、じつは、小学校高学年、たぶん5年生くらいだったと思うが、ある日を境に、私はガンマニア(というよりも改造ガンマニア)から、きっぱりと足を洗ったのだった。 その事件を語る前に、当時の子どもガンマニア事情を述べたい。 映画が、ジョン・ウェイン、バート・ランカスター、カーク・ダグラス、リチャード・ウィドマークといった西部劇や、ジェームス・ガーナー、ケーリー・グラント、グレ

    • つづき2

      屋根の瓦にとまったスズメを狙った実演以外に、父がこの空気銃を発射したのを1回だけ覚えている。 それは、夜で、家の玄関から、暗闇にいる野犬に向けて撃ったのだ。 その当時は、まだ東京にも野良犬がたくさんいた。飢えた野良犬が、残飯や飼い犬の残したエサをねらって、民家のまわりをうろついていた。気が立っているので、子どもに噛みついたり、群れて人を襲うこともあったと思う。狂犬病もまだ撲滅されていなかったので、野良犬は、それなりに恐い存在だった。 そういえば、だからということになるだろうが

      • (つづき)

        父のコルト・ガバメント以前に、わが家にあった銃は、私のおもちゃのピストル——それはブリキやプラスチック製が多かったが、比較的軽い合金製(たぶんアンチモニー)のモデルガン的なものもあった——ばかりだったが、実銃に近い存在として空気銃が1丁あった。 空気銃は、どこの家にもある物ではなかったが、それほど珍しいものでもなく、比較的ポピュラーだった気がする。 たぶん、戦後の食糧難の時期、空気銃で鳥や小動物を狩猟して、貴重なたんぱく源としたのではないだろうか。ただし、私は、父が狩猟に成功

        • 拳銃のことなど

          子どものころ、家に拳銃があった時期がある。 青黒く鈍い光沢を持つ、コルト型(リボルバー型でない)の拳銃だった。 たぶん、コルト・ガバメント(M1911)だったと思う。 いま、コルト・ガバメントをネットで検索してみると、出てくる画像は、グリップが木製か樹脂製、または象牙などの獣骨製のモデルばかりだが、私が見て、触っていたのは、銃床全体が青黒い金属製だった。 父が、私に手渡して持たせてくれたとき、「あっ」と小さく叫んで落としそうになった。 小学生の私の手には、あまりにも大きくて、