つづき3

高校生にもなって、おもちゃの銃をたくさん持っていたとなると、ずっとガンマニアだったのかと思われるかもしれないが、じつは、小学校高学年、たぶん5年生くらいだったと思うが、ある日を境に、私はガンマニア(というよりも改造ガンマニア)から、きっぱりと足を洗ったのだった。

その事件を語る前に、当時の子どもガンマニア事情を述べたい。
映画が、ジョン・ウェイン、バート・ランカスター、カーク・ダグラス、リチャード・ウィドマークといった西部劇や、ジェームス・ガーナー、ケーリー・グラント、グレゴリー・ペックといったサスペンスものや戦争ものが多かったので(テレビでも、幌馬車隊とかマーベリックとかサンセット77、コンバット…いろいろあったなぁ)、それなりに拳銃ごっこや撃ち合いの遊びはみんなよくしていた。
しかし、普通の家庭では、子どもに映画やテレビに出てくるようなピストルのおもちゃを買い与えるようなことはしていなかったと思う。理由としては、それらのおもちゃはそれなりに高価だったことと、教育上良くないという理由からだと思う。
それでも、2B弾(いまどきのBB弾とはちがって、大粒の練り物の弾で銀色に塗装されていた。踏むと簡単に砕けた)をバネで飛ばす安物のプラスチック製ピストルは、みんな持っていたような気がする。そうしたピストルは、近所のおもちゃ屋で50円くらいで買えた。
私の場合は、父自身が映画好きで、西部劇やアクションものを子どもに観せていたので、子どもがピストルマニアになるのを容認していた。誕生日やクリスマスには、いまの男の子たちが戦隊モノグッズをねだるように、私はいつもピストルをねだっていた。
なので、ワイアット・アープが使っていた銃身の長いコルト・バントライン・スペシャルとか、コルト45ピースメーカー。悪役やギャンブラーが使っていた、デリンジャーやペッパーボックスなどの変わり種ピストル。そうしたピストルをすべてもっていた。それらは、合金の鋳物製で、安物の2Bプラスチックピストルとは比べようもないほどカッコ良かった。
ちなみに、父は、何度も倒産しているので、金回りが良くなったり、悪くなったり、浮き沈みが激しかった。文無しになったときでも、私の誕生日には、母と暮らしていた私を新宿に呼び出して、女に(明らかに水商売の女で、子どもには、派手な服と化粧と香水でものすごい美人に見えた)私へのプレゼントであるピストルを買わせていた。
女は不機嫌な顔をしていたので、私は「いいの?」というように父をうかがったが、父は金が無いくせに堂々としたもので、「どれでも好きなのを選べ」と言って女に代金を払わせていた。
まぁ、そんなふうにして、私のピストル・コレクションは充実していったのだが、ある日学校で、そうした私のおもちゃピストル・コレクションがすすけて見えるようなことがあった。
私のクラスには、私ほどのガンマニアはいなかったし、ちょっとした撃ち合いごっこはしても、ピストルに深入りするような友だちはいなかった。
しかし、隣のクラスには、すごい奴がいた。そいつは、氷屋の息子で、デリンジャー(西部劇のなかでは、女や賭博師が隠し持つ超小型のピストル。当時、180円くらいした)を改造して、なんと鉛の実弾を発射できるようにしたのだ。しかも、男子トイレの大のほうの木の扉をその改造銃で撃ち抜き、穴を開けてしまったのだ。
もちろん、学校では大問題になり、そいつは厳重注意となり、よく覚えていないが、銃の遊びについても注意されたと思う。
おもちゃのデリンジャーは、通常は、撃鉄を起こし、紙火薬を挟み、引金を引くと、撃鉄がパチンと紙火薬を叩き、パーン!と音がして火花が出るという、単なるおもちゃにすぎない。それを、紙火薬を挟む個所に小さな穴をドリルで開け、撃鉄側と銃身側を貫通させる改造を行ったらしい。銃身側に火薬と鉛を溶かして作った弾丸を詰め、引金を引くと、紙火薬の爆発が銃身側の二次爆発を引き起こし、その爆風で鉛の弾丸が発射される構造だったようだ。
そいつにドリルの穴までは見せてもらったが、その後、その改造銃は没収となり、実際の構造は確認できなかった。
もちろん、当時の小学生にそこまでの改造ができるわけはない。どうやら、氷屋で働く若い衆が、拳銃マニアのぼっちゃんのために造ってやったようだった。
私としては、私も持っていた180円のデリンジャーが、木板を撃ち抜くほどの実力に変わり得るということがショックだった。そうなると、水商売の女たちが買ってくれた1000円以上もするモデルガンが急につまらない物に見えてきた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?