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積読していないという言い訳

私の読書スタイルは多くの本を同時並行で読むことだ。家で読む本と移動時間に読む本を分けているし、脳が元気な時に読む本と寝る前に読む本を分けている。それぞれの分類の中でも、気分に応じて色々な本を読んでいる。

本は1冊ずつ読んだ方が内容の理解が深まりそうではある。そう思いつつも、色々な読書スタイルを試してみて、私の場合はその時々の気分に合わせるのが一番濃い読書体験ができることに辿り着いた。気分が移り変わりやすいのは、私の良くない特性として諦めて受け入れている。

前回読んだときから期間が空いてると、本の内容を忘れていることは多々ある。そんなときは、もう一度読めば良い。それはタイパが悪い?趣味の読書にタイパという概念を持ち込むのはどうかと思う。(必要に駆られて読書する場合は私もタイパを意識するが。)

読みかけたまま長いこと放置している本は、積読ではなく読んでいる途中の本だと認識している。つまり、積読ではなく読んでいる途中の本である。実際のところ、私が所有している本の中で、全く読んだことのない本は殆ど無い。本を手に入れた段階で、最低限冒頭の数ページに目を通している。

普通、読書記録は読了した時点でつけることが多いと思うが、私の場合、最近は本に少しでも読んだ段階で記録している。こんな記録方法だから、一定期間(1ヶ月や1年)に何冊本を読んでいるか把握できていない。

ここに挙げている本はどれも最後まで読んでいない

そもそも、本の内容を完全に理解することなど不可能なのだ。本の一部を読んだならば、それはすなわち「その本を読んだ」ことになると言えよう。つまり、積読に思える本たちはそもそも積読ではないと考えることもできる。その辺りの詳しい議論は『読んでいない本について堂々と語る方法』に書かれている。

「読んだ」とされる本に関しては、「読んだ」ということが正確に何を意味しているかを考えるべきである。

ピエール・バイヤール著 大浦康介訳『読んでいない本について堂々と語る方法』


興味の持った本はとりあえず片っ端から購入したいのは山々だが、いかんせんお金には限りがあるので、それなりに自重している。それでも、一般人から見たら本にポンポンお金を使っているように見えるだろうが。自分の中のルールとして、Amazonやhontoでセールが開催されている場合は気軽に購入しても良いことにしている。紙の本の場合は、お金よりかは収納面の問題から、購入を検討している。既に本棚からは本が溢れているので、これ以上紙の本を増やすことに慎重になっている。本は背表紙や表紙が見えるように収納したいので、ベッド下など外から見えないスペースに収納するのは気が乗らない。

必要に駆られて本を読む場合を別として、自由気ままに読書を楽しもうと思う。

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