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快楽的なダルさにどっぷり浸かってしまうー『スマホ時代の哲学 失われた孤独をめぐる冒険』を読んでー

『スマホ時代の哲学 失われた孤独をめぐる冒険』を読んだ。

ここ最近の私はスマホでダラダラとYouTubeやTwitterを眺めてしまうことが多い。そのような現状に嘆いていたところで、連休中に時間ができてこの本を読んだところ、私の状況を的確に表した一文が目に止まった。

しかし、絶えず環境や関係性が変化し、自己成長することをどこまでも求められる不安定さからくるストレスを処理する方法はもう一つあります。それは、断片的な感覚や刺激で自分を取り巻き、その細切れの経験に集中することで「快楽的なダルさ(hedonic lassitude)」に浸るというやり方です。
これは、自分の注意をばらばらに分散させるという、スマホ時代に選ばれやすいストレス・コーピング(ストレスの対処法)です。スマホなどのデジタルデバイスが可能にするマルチタスキング(活動の並行処理)は、私たちの注意を分散させ、それに応じて感覚をばらばらに分解するところがあり、それによるボーッとした感じに一種の癒やしがあるわけです。

谷川嘉浩. スマホ時代の哲学 失われた孤独をめぐる冒険(株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワン)

私はまさにこの「快楽的なダルさ」を求めてスマホを弄っていたのだ。復職した途端にストレスが増大してしまい、そのストレス発散の手段としてスマホに逃げていたのだ。

同じようなストレス発散でも、本や映画に向かわないのは何故か?キーワードは「断片的な感覚・刺激」である。快楽的なダルさに浸かるためには、感覚や刺激が断片的な必要がある。本や映画がもたらす体験は断片的ではない。断片的な感覚・刺激をもたらしてくれるのは、SNSやYouTubeの動画等である。

自分が置かれている状況、考えていることを言語化してくれるのが本の良い所の一つだと思う。言語化がもたらす効用は大きい。私は言語ベースで思考するタイプの人間なので、抽象的な感覚を言語に変換することで思考が前に進みやすくなる。

さて、私はこの快楽的なダルさに浸かっている状況を好ましく思ってなく、何かしら改善したいと思っている。最近試している方法は「スマホを弄りたくなったら、寝るか散歩する」というものだ。快楽的なダルさに浸かりたくなるときは、眠気に襲われていることが多い。寝るには早いような中途半端な時間に眠気に襲われると起きていないといけない気がしてスマホを弄ってしまうが、いっそのこと仮眠を取った方が良いような気がしている。睡眠以外のもう一つの手段として散歩を挙げているのは、家にいるとスマホを弄りたくなってしまうから無理矢理外出するという方法である。散歩は運動にも思考にも良い。一日のうち歩く時間は通勤時間くらいで、もっと歩く時間を増やしたいと思っているので丁度良い方策となるだろう。

快楽的なダルさに浸かっていると、気分がよろしくない。豊かな人生を送るためにも、快楽的なダルさからの脱却は解決の優先度が高い課題に位置付けられる。どうにかして脱却したいものだ。

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