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もっと自由にネットでしゃべりたい

最近、文章を書いてて頻繁に引っかかります。
書こうかどうしようか、考えてやめることも。

何を気にしているかって、身バレです。

こんなこと書いたら、わたしだってばれるかな。
今までの話読んだら、どういう人かわかっちゃう。
知ってる人が見たら、○○さんだって思われちゃわない?

こういう思考が、何かを書こうとするたびによぎります。


10代からネットの海を泳いでいた人間なので、ネットマナーやリテラシーもそれなりに学んできた自負がある。
そのせいで今、けっこうがんじがらめになっている。

どこまで書いていいか。
何なら書いていいか。
どの出来事をどのくらい正確に書くか、ぼかすか。

ぐるぐる考えてしまって、ぜんぜん思ったことそのまま出せない


わたしが溺れるようにネットを泳いでいたあの頃と違って、今はインターネットに触れること自体もう当たり前の世界。
うちの4歳でもやってます。

あふれかえる情報と、発信と、いろんなもの。
その端の端の端に、いまわたしがいる。

そこから、現実の知り合いに偶然であうのって一体どのくらいの確率なんでしょう。計算した人いるのかな。
発信を続けていればもちろんそんなこともあるんだろうけど。
今はもう、あまたある情報の中から個人で取捨選択する時代です。
合わなければすぐに捨てられる。発信してる人にとってはここが苦しいところでもあるけれど。


昔は、自分の名前をネットに載せるなんて言語道断でした。
今は実名でお仕事してる方もいっぱいいます。

顔写真を載せるのも、絶対やっちゃいけないことでした。
今はそれも、信用を得るための手段だったりします。

もちろん、メリットデメリットがあるから、一概にどちらがいいという話じゃないんですけど。あと、出したい情報と出したくない情報とあるのも当たり前だしね。その範囲は人によって違うし。

ただ、わたしが「絶対にしてはいけない。怖いことが起きる」って、まだ何も起きていないことを心配している間に、世の中はもう変わっています。よくも悪くも。


ばれたらばれたときって、腹くくれてないのに発信してるから。
見つけてほしいはずの発信で、潜在意識は見つかってほしくないって思ってる。そこに矛盾がある。
メガホンの先にしっかりと蓋をして「みんなー」って呼びかけてるようなもんです。それは誰に届くんだろう。

届けたくない思いのほうが実は強すぎて、届けたい人に届くようにできてないのでは?

犯罪につながるようなことにはなりたくないから、個人情報には気をつけようとは今も思っていますけど。特に家族の情報を書くときとか。
でも、必要以上に萎縮する必要も、ないんじゃないか?
そのちょうどいいところを探すのは、わたしにとっては結構大変だけど。


ここまで書いといてまだ、腹はくくれてません。
でも、最近の書けないわたしが何につまづいてるかはわかった。
思ったことをそのまま出すためには、あとは決めるだけだね。

まだ「この世界」にいるか、それとも「この世界」を飛び出すか。


今日も読んでくれて、ありがとうございます。

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