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24時間のうち5秒だけ、わたしは母だと自覚する

昨年、母になった。
正確には一昨年の十月。おなかの中に命が宿って、わたしは母になった。

母になって、もうすぐ一年になる。

子が生まれた日のことは、まだ結構鮮明に憶えている。憶えているけど、思い出すのはお誕生日にしようと思っているので今日は割愛。

ともかくあの日から、わたしの生活はがらりと変わった。

数時間おきの授乳、変えても変えてもセンターラインの色が変わるおむつ(おむつの真ん中の黄色い線が青に変わったらおむつ替えサインなのだ)、お布団におろすと起きる昼寝、母の腰がぱきっと鳴っただけで起きる夜。
いまだに、三時間以上まとめて寝られるのは月に一度あればいいほうだ。

そのうち、ころころの横になっているだけだった子は動き出し、今は家中のあらゆるものをなめてかじって押して引っ張って生きている。

動く範囲が広がるたびに「この間まではなんて楽だったんだ……」と思う。そうしてそれに慣れた頃、子はもうひとつできることが増え、また思うのだ。
「この間まではなんて楽だったんだ……」と。

子育て、めっっっちゃくちゃ大変。
でもそれと同時に、めっっっちゃくちゃ楽しい。

昨日までできなかったことができるようになる。
寝返りを打てなかったのに、転がっている。
何かにつかまって立てるようになる。
歩けるようになる。
つるつるの歯ぐきに歯が生える。
ふええと泣くばかりだったのに言葉を喋る。
けたけたけたと笑う。
生まれたときは圧倒的な『いのち』だったのが、どんどんと『ひとり』になってゆく。
それを身近に見られるのはやっぱり、楽しい。


けれど、それとは全く別のベクトルでふと思う。
昼間ひとりで子どもを見ているときも、夫の休日に三人でどこかに出かけたときも、朝も昼も夜もなく、ふと。

ああ、わたし、ほんとうに母になったんだろうか。


子をこの世に産み落としたとき。
わたしが思ったのは「やっと会えたね」でも「ようこそ」でも「これからよろしくね」でもなく。

おわったー……

だった。

生きてきた中で一番苦しい痛みを与えられ続けた数時間。わたしは四時間半だったので短い方だが、それにしても何度も「もうむり」とくじけかけた。出産やめたいと本気で思った。やめられるわけないのだけど。

終わったその日は、病院で預かってくれたのだが、翌日から容赦なく授乳が始まる。なにがなんだかよくわからないわたしは、この子があなたの子よと言われてようやく、「あ、わたしこの子に触れていいのか」と思った。
おむつを替える手順を教えてもらい、おっかなびっくり子を抱いて、授乳室で授乳しながらもなお、子育てをしている実感こそあれ、母になった気はしなかった。

それからここまで。
一年経ってもなお、自分が『母』であることに新鮮に驚く。
あんなちゃらんぽらんでいい加減で怠慢極まりないわたしが、人の親になった???
……よく、わからない。

それでも、一日の中で一瞬だけ、

ああ、わたし今、おかあさんだなあ。

と思うときがある。


それは、寝入った子に布団を掛けるときだ。

授乳されたまま穏やかに。
眠たくてぎゃんぎゃんとぐずり。
ゆらゆらされているうちにうとうとと。
寝入りは様々あれど、そこからぐっすり眠って、お布団におろした、そのわが子の顔は、何物にも代えがたいくらい愛おしくてかわいい。

おやすみなさい、いい夢を。
心の中でつぶやいて、お布団を掛ける。

途中で呼吸が止まりませんように。
だれかに、なにかに連れていかれませんように。
できるだけゆっくり眠れますように。
そしてどうかこの子の明日が、幸せでありますように。
そんな風に願うこの一瞬だけ、わたしは母になったんだと思う。

ちゃらんぽらんでいい加減で怠惰極まりないけど、わたしは確かに母になったのだ。

子育ては、思い描いていたのの三百倍大変で、三百倍時間がなくて、三百倍眠いけど、それでも。

三百倍、四百倍、五百倍、幸せをくれる。

わたしの人生の全てを子にかけることは互いのためにしたくないけれど、わたしはあなたと出会えてほんとうによかった。

わたしをおかあさんにしてくれてありがとう。
これからもよろしくね、子よ。

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