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大事にされにいけなかった冬の日の朝│ 1ヶ月書くチャレンジDay20

Day20だって。
とうとう2/3も来ましたね。
なんか感慨深い。

こんにちは、あるいはこんばんは。

書く習慣が、ついてきたような気がします。
子どもを寝かしつけたら、わたしのnote時間スタート。

ということで、今日の書くチャレンジです。


Day20 これまでで1番の後悔

実は大人になってから国家資格を2つ取ったので、そのときのノートを捨ててしまった話を書こうと思ったんですけど。
(これもすごく後悔してるのでそのうち書くかもしれません)

ふと、思い出してしまいました。
高校受験の日の朝のことを。


中学生だったときのわたしは、特になりたい職業も目指しているところもなく、わりとぼんやり過ごしてました。
部活も全国大会なんて夢のまた夢。勉強も、できる方ではあったけどずば抜けてって感じでもない。
だから、どの高校を受験するかも、自分の学力が届く範囲で「制服がかわいいから」とか「友達が行くから」というところを希望してました。

ですが、両親にも先生にも、もう一つ高いレベルのところを勧められて。
ちょっと悩んだあげく、そっちにすることにしました。すごく無理しないと届かないレベルでもなかったし、断る理由もなかったから。

そのため、あまりできなかった数学と理科を教えてもらいに塾に通いました。講師1人につき2人を見てくれる個人指導に近い状態の塾でした。
そこで出会った、いつも数学を見てくれる先生。ビシバシいく感じじゃなくて、ちょっとのほほんと「そうそう、そういうことなんだよね~」と教えてくれる、めがねの先生だったと記憶してます。とにかく雰囲気のまあるい先生で、わたしはとても好きでした。

ただしわたしは人見知りなので、その先生とは雑談することも特になく、淡々と問題をやりこむ真面目な生徒でした。
塾は確か、受験日の数日前が最後の授業でしたが、最後もそんな盛大にお別れの挨拶をすることなく「頑張ってきます」「うん、頑張ってね」みたいな感じだったと思います。


高校受験の日。
受験する高校で試験をうけるため、わたしは母に車で高校まで送ってもらいました。
狭い学区だけ構成されている中学とは違い、高校は近隣の市からも受験できるので、駅から歩いてやってくる受験生もたくさんいます。
駐車場に車を停めてもらい、2月の朝の凍り付きそうな空気の中で、昇降口を目指して歩く直前、なぜかふと校門を振り返りたくなりました。

駅から続いている道や校門付近には、いろんな塾の講師の方が並んでいました。自分の塾の受験生の応援に来ているであろうことはなんとなく想像ついたのですが、「へー、そんな文化があるんだな」と思っただけでした。

門の一番近くにいた3人の女性が、こちらの方に向かって大きく手を振っていました。何人かは手招きもしていたことを覚えています。
手に何か持っていて、色紙だったのかな、目が悪いのではっきりとわからなかったけれど。
ふうん、と思って、マフラーに顔を少し埋め、今から受験する学校に向きなおってから、気付きました。

もしかして、手を振られていたのは、わたし?

頭の中の残像をもう一度思い出してみると、そのうちのひとりはわたしの好きだった数学のあの先生だったような気がします。
あとの2人も、塾の中で見たことがある、気がする。

もしかしてもしかして、わたしを呼んでいた?
わたしを激励するために?


結果として、わたしはもう振り向きませんでした。
間違っていたらすごく恥ずかしいと思ったから。
ただの一介の生徒であるわたしなんかのこと激励しに来てくれるだなんて、そんなたいそうなこと起こるわけない。
ただ授業に通っていただけのわたしのことなんか、覚えてもらっているわけがない。
なぜかわからないけれど、当時は真剣にそう考えていました。

でも、受験している最中も、受験が終わってからも、合格してその高校に入学してからも、わたしはあの校門の光景を忘れられませんでした。

受験の結果を知らせに行くこともしていないので(確かしなくていいと言われていた)、わたしとその塾との関係はあの校門での一瞬が最後です。


わたしのためだったかもしれないあの気持ち。
受け取れなかったあの気持ちは、どうなったんだろうか。

大きな後悔ではないけれど、15年以上経った今でも心の隅にちくりと残っています。


この記事では、いしかわゆきさんの「書く習慣」という本に掲載されている『「書く習慣」1ヶ月チャレンジ』に挑戦しています。

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