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「誤読の名刺」を創る

SFC生活5年目で最終学期なのですが、一番刺激的な日々を送っているなと思っている高城です。

最終学期にも関わらず実習系の授業を多くとっているのと、卒論をやっているので抽象と具体を行き来しまくって、インプットとアウトプットの両輪をフル回転させながら日々を過ごせているなと。(こちらに今やってることをまとめました。興味あれば。)

では今回の本題に入りたいと思います。

1. 企画案のその後はどうなったのか

上記のnoteを発信した後、ゼミがあり康太郎さんからコメントとフィードバックがありました。2時間という限られた時間の中で、20人ほどいるゼミ生全員のnoteに、康太郎さんから丁寧に感想やフィードバックを伝えてもらいながら、その企画の糧になる作品や思想についてインプットを重ねてもらいました。

自分の企画案へのコメントはもちろんですが、ゼミの仲間たちへのフィードバックやお互いのコメントも、大いに自分の血肉になったなと。そのなかで特に自分に刺さったのが、康太郎さんのこの言葉。

自分なりの社会彫刻になっているかが大事で、そこがポイント

あー、いつもの自分の手癖に逃げてたかも、と大いに思いました。もちろん、ワークショップデザイナーとしてお仕事をさせてもらっていますし、ワークショップという概念は自分の武器であり、私自身を構成する大事なキーワドです。
だけれども、「手段が目的化していないか?本当に?お天道様に向かって大声で言える?鴨池で叫べる?」と言われると難しいなと。

人様にとって価値あるものとして提供する意味では、やはり自分の武器であるワークショップはすごく重要。でも、この企画ではきっと自分自身に向き合い、自分の器(あるいは手札、あるいは仲間)を広げていいんじゃないかと。自分のもがいている姿を含めて、きっと作品なんじゃないかと思いました。

2. じゃあ何するの?

前置きが長くなりましたが、コンテクストデザイン的企画として「誤読の名刺」を作ってみようと思います。

実は自分自身、名刺を作るのが小さい時から好きなんですよね。クレヨン使って書いてたり、中学上がってからは名刺作成ソフト使って自分の名刺を作り、そんなに使いもしないのに100枚くらい刷ったりして。結局、自分の名前が入るものだと10種類以上は過去にデザインしたことがあります。

----ここに自分の名刺の写真が入る予定----

今考えてみると自分のペルソナ(仮面)を名刺という形で具象化させたかったのかなとも思います。私自身は4歳ごろから実家の居酒屋を手伝っていたので、「お客様の前に出ている私」と「家族が仕事の上司の顔をしている時の私」と「家族が肉親の顔をしている時の私」と「幼稚園での私」と「一人でいる私」みたいなものがすごく複雑に入り混じっていたのかなと。

4歳とはいえ、お客様の前ではにこやかに愛想よくしていたし、家族が仕事の上司の顔をしている時は緊張感を持って接していた様な気がします。自分が幼稚園生の頃までは両親とも毎日お店に出ていたので、週に1-2日間しか幼稚園から帰ってきても会えなかったんですよね。あとはお店が終わる12時くらいにならないと会えない。小学校にあがって月〜木は母と毎日過ごせるようになって、「母とどうやってなんの話をしたらいいんだろうか」って緊張したのを今でもよく覚えています。

だからこそ、名刺を作って自分が誰であるかを他の人に伝えるとともに、自分の中で納得させることが自分にとって重要だったのではないかと思います。

3. 名刺とはそもそもなんだろうか

名刺ってそもそもなんなのかちょっと検索をしてみました。そうすると、いろいろと記事が出てきたのですが、ちょっと古いですが「ほー、さすがです。」と思ったのは、SFCの先輩である寺田親弘さんが創業されたSansanの取締役 / 共同創業者 / Sansan事業部長の富岡 圭さんのインタビュー記事。ここでは2013年当時の海外における名刺事情や名刺の歴史についてお話ししていました。

この記事の中で富岡さんは名刺の起源についてこのよう言及しています。

いろいろな説があるのですが、一般的に名刺の発祥は中国と言われています。三国時代の武将「朱然」(182~248年)の墓が1984年に発掘されたときに、名刺が発見され、これが現存する最古の名刺ですね。

結構古い歴史があるツールなのだなと。では、日本ではどうかというと、上記の記事によれば「19世紀初期の江戸時代に、和紙に墨で名前だけを書いて、訪問先が不在の場合、訪問したことを知らせるための手段」として使っていて、「いまのように紙に印刷をして名刺を使うようになったのは幕末開国のころからで、そのころは家紋の下に名前を書く人が多かった」そうです。

こうしてみると、今もその意味を持ったまま、自分が誰であるのかを示すための道具として使われているというなのではないでしょうか。

4. 名刺の誤読可能性

名刺交換という儀式は「ボクわるいスラ○ムじゃないよ」と青色のかわいいあんちくしょうよろしく、お互いに敵意がないことを示す行為だともいえると思います。では渡す側、渡されるにはどのような意味があるのか。

名刺は渡す側にとっては「私はこういうところに所属をしている、こういう名前の人で、ここから私にコンタクトができます。」というメッセージを含有した道具だと思います。

渡される側にとってはどうでしょうか。上記のメッセージを受け取りその場の後に「あーその文脈なら、そういえばこういう人いた気がする、、、(ごそごそ)」みたいな形で、その場の後にその人と繋がるためのアクセスポイントとしての意味があるかと思います。

ここに今回デザインをもう一度させたい余地があります。名刺を渡す側の一方通行のコミュニケーションではない、渡される側のなんらかしらの行為によって完結するオブジェクトに変えたいというのが私の趣旨です。

5. 次回までに

どういう要素があれば渡される側が受け取って嬉しく、何かをしたくなっちゃうのかを考えていきたいと思います。

ただ、メモ欄があるだけではおもしろくない。その場で私の似顔絵を描いてもらえる名刺とかどうだろう、いや、名刺を渡すという短時間の体験の中でそんなことやってもらえるのか。。。デジタルと繋げることはやっぱりMustなのかな、QRコードがついてる名刺はたまに見かけるけど、アクセスしたことないな。。。

などなど、残留中の研究室の中で考えながら、今回のnoteを閉じたいと思います。

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