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【毒親系】 親父よ、茶碗は落とせば割れるものだし、コップを倒せばお茶はこぼれるものだから、そんな怒鳴り散らすな

あと数年ほどでアラカンだというのに、幼少期の毒親問題にいまだに囚われている私自身が実にもどかしい。この歳にして、いまだ虎馬にQOLを害されている。苦労してます(こういう人もいるのだと知ってほしい)。最近は、私みたいなおぢを「自己肯定感ゼロの面倒臭いおっさん」なんてふうにディスるような風潮がある。心で思うのは構わない(仕方ない)けど、しんどくなるから顔や言葉には出さないでくれ、頼む。

親から虐待を受けていたんだなと、成人してからはっきり自覚してしまったとき、どうします? いや、若い人なら徹底的に歯向かい、バッチバチに敵対しておいたほうがいいって。歳とってからはそうした苦言がとても呈しにくくなるし、下手をすれば私の場合みたいに親が痴呆してしまって話し合いができなくなる — なんてことさえあるんだから。

以前の記事でも書きましたが … 毒親はネタの宝庫
そう考えることでちょっとでも気分をラクにしたい。そういう試みです。

とてもおどおどした子供だった


この性格が醸成されたのは昭和後期。
家では癇癪持ちでいつ爆発するかわからない父親への緊張のもと、とにかく表情を観察しつづけましたね。彼が、岡本太郎の藝術のごとく爆発する予兆を感じ取ろうとばかりしていましたから。

父親の怒鳴り声が大嫌いでした。で、母親がまた父親の怒りのトリガーをよく知ってるというかなんというか。この人、すぐ泣くくせに失言ばかり垂れてしまうような人でして。まさに、着火と燃料投入の天才。

先日、悪夢をみて、これまで忘れてたのに思い出してしまったことがひとつ。

両親には、私が〝こわがり〟なことをどこか面白がっている節がありました。

このポイズン父、わざと「ゴラあぁぁっ!!!」ってふうに怒鳴って私をおどかすってことを何度もやってきました。私の表情が曇るのを見て楽しんでました。私の顔を覗き込んで、おもしろそうを見るかのようにニヤリとするんですよ。私はどうしてもムカついてしまうのですが、「お前が怖がりやから、怖がらんように練習させたってるねん」と。よくもまあしゃあしゃあと。

それを見て、ポイズン母は困惑しつつも苦笑い。

助けてくれなかったわけです。

ある意味、父親を使って息子である私をいじったようなものです。それでもって父親のいないところでは、父親の悪口とか愚痴のたぐいをさんざ垂れるのです。いま振り返ればこれ明らかに、立派に虐待ですわな。

そろそろ毒親話はやめたいんだけど … 続くよきっと


私の過去の記事ではいつも書くんですけど、今年で80歳になった母親はすでに恍惚の世界に住んでいます。いまだ父親はいわゆる老害そのものですが、それでも加齢して弱りはてたぶんを加味すれば、ずいぶん扱いやすくはなりました。

若い頃のほうがよほど有害で毒でしたからね。

実家にいたころ、私は父親のことを(心の中で)やっさんと呼んでました。
怒るでしかし…でおなじみだったあの横山やすしさんの呼称です。
この人も気が短くて、あちこちでいろんな事件を起こしてましたね、しかし
ただ亡くなったのも本当早かったですね、しかし
いまの私より若い51歳で亡くなってるんですよね、しかし(もうええわ!)。

本家のやっさん    https://youtu.be/bBHK0qoQnZI?si=yUiSSoevDCMPxuo8  より引用

母親が台所で大きな物音を立てると「何やっとんねんオマエ!!!」ってふうにキレてました(現在もそうだけど)。我々が目の前で皿を割るとかお茶をこぼすとかはもってのほか。「何どんくさいことやっとんねん!!!」って何度怒鳴られたり、母親や妹が怒鳴られるのを見てストレスを感じたことか。

父親の所業を書き並べるなら、毒の所業の数々はまだまだ尽きません。ネタの宝庫ですから、何度でも私の記事に登場することでしょう。お楽しみに。

いいんですよ、もう昔のことですから (泣)


まちがいなく社会に出た後もつづく私の生きづらさは、この人から受けたいじめで熟成されてきました。大学に一浪して入ったのを機に実家を出ましたので、私のおどおどした心性は熟成されること約20年モノです。

20年ほど虐待という名の樽のなかで、私の豆腐メンタルが熟成されました。

弱いメンタルにしばしば例えられる豆腐(写真は絹ごし豆腐)


いやあコク深く、誰からもいじめられたりむしり取られたりしやすい人格が程よく完成いたしました … でも喧嘩も恫喝もこれっぽちも楽しくありませんからね。

娘たちを育てる上で都合良かったのは、わが親たちを存分に〝反面教師〟にすることができたこと。ほんとこれに尽きます。

茶碗を落とした、コップをひっくり返したといった類のことで私は一切怒りませんでした。家内はそれなりに怒るんですけど、私はむしろなだめていたと思います。
長女にせよ次女にせよ、分別ついたころには茶碗を割ったりお茶を机にぶちまけるといった事態になったとき、ケロッとしているわけなんてありません。そこをさらに輪をかけてテンパらせてどうする?って考え方です。

家内は「もお〜っ! 何してるの!!」っていう役割。
私は「大丈夫だ、物は壊れるし液体はこぼれる」みたいな役割でいきました。

キモいはずの私を毛嫌いすることもなく


もちろん悪いことをすれば叱りました。本気モードで叱ったときは、たぶん娘たちはすごく怖かっただろううと思いますが、ちゃんと「なんで怒っているのか」に関しては筋を通してきたと思います。

笑っている人の顔が曇っていくところを見るのがものすごく辛くて耐え難い性分。とにかく家を明るい空間に保ちたかったところがあります。

思春期を迎える直前あたりを心配してましたが、幸いなことに「わたしの下着と父ちゃんのパンツを一緒に洗わないでくれ」みたいなことはまったくありませんでした。それどころかきっと、私の下着もすすんで畳んでくれた。感謝しかない。

娘たちはすでに我が家を巣立って、それぞれにいろいろな人生経験を重ねながら生きています。顔色を気にしがちな次女が社交的で、甘え上手な長女が内気ってのが不思議ですけどね。不器用な私のもとで、まわりの人様にも配慮の届く素敵な大人に育ってくれました。

これでもってプラスマイナスゼロ … とはいきませんが、悪いことばかりではないというのは本当にありがたいものです。

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