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ポストコロナの宗門改帖

「ポスト・コロナ」未来予測が流行っているらしい。高級薬膳屋がコロナ禍によって出した格安惣菜をつまみながら、河川敷で友人と暮れなずむ鴨川や日本を眺めた。なるほど、こういう旨いものを安く喰えるなら「コロナ後」も悪くない。

 昨今、ねこも杓子もコロナである。皆いいかげん飽きたのではないか。とはいえ、リスクは存在しているから如何ともし難い。友人と会い、与太話に花を咲かせるのにも、社会的距離を保たねばならない。

 ただ、ぼくの生活は大して変わらない。労働し、映像を浴びて、読書し、字を書いてたまに人に会う。また博論もあるので研究せねばならない。だから、前々から気になっていた大橋 幸泰『潜伏キリシタン 江戸時代の禁教政策と民衆』 (講談社選書メチエ、2014)を手にとった。

 本書は、近世を専門とする歴史学者による「キリシタン」イメージ変遷史である。時代ごとの呼称の変化を、丹念に一次資料から拾い上げ、そこに現れた時代精神と社会的状況を明らかにした。もちろん一般向け書籍なので、詳しくは参考文献や初出を確認すると良いだろう。

 興味深く読んでいたら、おもしろい記述を見つけた。委細は購読してほしい。先に要約しておく。「キリシタン禁制」の成立は、まず懸案事項に対して中央の呼びかけがあり、次に地方自治体と民衆の自主性によって動きがつくられた。そして、中央が民意に沿って制度化したのだ。以下、流れが明らかとなるように引用したい。なお太字は、ぼくによる。

「島原天草一揆の衝撃を受けた幕藩権力にとって、キリシタン禁制は徹底的に貫徹しなければならない政策となった。」「幕府はキリシタン禁制という大方針は提示しても、その方法について…指示できなかったというほうが正しい。なぜなら…根絶する方法について自明ではなかったからである。」

 では、どうなったか。

「幕府は大目付井上政重を中心に全国的に潜伏キリシタンの摘発を進めていった。」「多数のキリシタンが露顕するという現実問題のほうが先行するなかで、とりあえず大目付の井上がそれを担当した」
 「井上のもとに潜伏キリシタンの情報が集まっていった結果として、キリシタン問題専門の役職である宗門改役が成立した」

 著者・大橋は、岡山藩の事例から、大目付・井上のキリシタン探索の影響を二つ述べている。一つは、人々がキリシタン問題を各藩ごとの問題ではなく、幕府マターであると認識したこと。もう一つは、後に「人民の宗旨を毎年改める宗門改の全国的制度化を促した」ことである。

 大目付・井上は、キリシタンの出没は、各藩の治世を反映すると考えていた。なぜなら、領主が仁徳ある政治を行っていれば、民衆の側からキリシタンなどは出てこないからである。

 当時、キリシタンは「天草一揆」に代表される反社会的集団だった。要するに、テロリストと見なされていた。大橋によれば、領主が仁徳ある政治を行わない間隙に、キリシタンが蔓延る。また領主を信頼して仁徳ある政治を求めることは民衆の権利であった。従って、天草一揆のように武装蜂起することは、そもそも反社会的な態度である。すなわち、キリシタンの発生は、領主にとっても民衆にとっても、非常に不都合なことだった。

 だから「潜伏キリシタンの存在は領主の仕置きによる」とされた。

 「諸藩は幕府の宗門改役の指導を受けるのではなく、恒常的な制度として領内に潜伏キリシタンが存在しないことを証明する施策を独自に求めて」
 「幕藩権力はそれぞれの立場でキリシタン根絶のための方策を試行錯誤し」「結果として成立したのが宗門改制度であった。」

 1643年以降、事実上、大目付・井上のもとで全国的なキリシタン摘発が始まった。それは、各藩ごと時期や手法にばらつきはあったが、徐々に伝播・拡大して、最終的に制度化される。それが1659年「五人組」「檀那寺」、1664年「宗門改役」である。つまり、すでに諸藩の実態に合わせる形で、幕府がそれを制度化したのであった。

 「宗門改制度は、幕府からの一方的な命令で開始されたものではない。」「1630年代に広く諸地域で行われるようになったことは確か」「キリシタンでない証拠として、領民が頼りにしている寺の僧侶から手形を取る」「御経を戴くという行為をしてもらったことを明記して、その証拠としている」
 「島原天草一揆後、幕府と諸藩はそれぞれの立場でキリシタン根絶に向けて、その手段の試行錯誤」「その過程のなかで幕藩権力は、外部からの流入者への警戒とともに、内部の定住民への注視を同時に行いつつ、キリシタンという宗教の根絶には仏教による監視体制がもっとも有効であるとの実感を持つようになった。」

 「キリシタン禁制」の成立には、まず懸案事項に対して中央の呼びかけがあり、次に地方自治体と民衆の自主性によって動きがつくられた。そして、中央が民意に沿って制度化した。

 結果、「毎年、人別に寺請という手段によってキリシタンでないことを証明する宗門改制度が全国的に成立し...表面的には、幕藩体制下に一人もキリシタンが存在しない状態となった」のである。

 歴史学者が詳らかにした「キリシタン禁制」の成立過程に、人々のコロナ自粛と現行政府の対応が重なって見えるのは気のせいだろうか。歴史とは興味深いものである。再び、大橋の研究に戻ってみよう。

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 大橋によれば「キリシタン禁制」以後、各地で気に入らない相手をキリシタンだと密告する騒ぎが頻発したという。加えて、上掲の理由で、公的に「キリシタンは存在しない」ことになっているので、実際にキリシタンであるような人々が現れても、それは「異宗・異法」として処理された。それゆえ、潜伏キリシタンの側も、自分たちを「キリシタン」だとは告白せず、公の論理を隠れ蓑とした。

 自らをキリシタンであると告白し、殉教にいたる者が現れるのは、1867年「浦上四番崩れ」まで待つことになる。

 これらの史実を知り、正直に言って「400年も前から日本人の気質は変わらないんだな…」と呆れて笑ってしまった。

 ぱっと見て、いま類似の事例が起きている。中央の要請に応じて、自治体と市民が率先して自粛へと動く。ときに気に入らない人物をコロナと告発しては騒ぎ、相互監視の中で自粛を強制する社会となっている。

 コロナの根絶如何は専門家でないので分からない。しかし、おそらくはどこかの時点で、科学的・病理学的な解決の前に、経済的・政治的な解決を行うのではないか。東日本大震災からの復興アピールとしてのTOKYO五輪2020は、新たにコロナへの勝利宣言として読み替えられて、開催を待つことになるのだろう。

 そうなれば、コロナはキリシタンと同じく「公的に存在しない」と見なされる可能性はないか。「キリシタン禁制」の顛末は、ぼくらの先祖由来の、そんな性格を示しているような気がするのだ。

 キリシタン禁制のための文書手続きを「宗門人別改帳」という。これは事実上の戸籍と個人情報の管理台帳であった。たとえば、結婚や仕事で土地を離れる際には、寺請証文を発行し、転居先で新たに記帳された。この手続きを無視する者が「非人」となった。

 キリシタンでないことを証明するように、コロナ罹患者でないと誇示するために、ぼくらはマスクする。それは社会性の象徴だ。互いの口元の布切れこそ、人権保持者であることの証明であり、模範的市民であることの徴である。しかし、ぼくらは実際に何をマスクしてしまったのだろうか。

 鴨川で、こんな話をした翌日、今度は友人らより「コロナ・ピューリタン」という語を聞いた。検索すると以下の記事が出てくる。

コロナ・ピューリタニズムの懸念| @pentaxxx

 要約すれば、コロナ後の社会では、身体的接触を伴う親密さがエアロゾル(体液感染)の危険性ゆえに、誰もが原罪に悩まされるピューリタンのように禁欲的にならざるを得ない、という話である。

 なるほど。となると、この予想に乗れば、次に来るのは社会の分断だろうか。17世紀中葉、日本で「キリシタン禁制」が始まる頃、欧州では、カトリックとプロテスタントが「信仰によって教会を中心に」世界を支配しようと争っていた。結果、荒廃した欧州は、宗教ではなく「理性によって国家を中心に」した世界を望んだ。

 三十年戦争は終わり、ウエストミンスター神学者会議の構想は潰えて、ヴェストファーレン条約による「欧州のかたち」が芽生えた。

 約4世紀をへたポストコロナの時代、「国家によって経済を中心に」した社会像は、どのように更新されるのだろうか。現在、多くの土地で経済と国家の立場は逆転して「経済によって既得権益を中心に」する社会が訪れている。この先に、何かしらの理念によって「生活を中心にした」世界は到来するのだろうか。

 以上、キリスト教史をメタファとして、現代をみつめる与太話を長々と述べた。そういえば、一つ忘れていた。批評家・黒嵜想が教えてくれた「感染者のアイデンティティ」という語彙である。

 たしかにアプリを開けば、SNS上で、コロナに感染した人々が、ほとんど預言者のように、ある種の特権性を獲得する事態が起きている。全員が当事者である中で、さらに「当事者の当事者」として振るまう人々が現れている。

 ぼくの率直な印象は「宇宙人に誘拐された人みたいだな…」だった。実はUFO愛好者/研究家によく知られた本などに、アブダクティやコンタクティの経験が、旧約聖書やカルト宗教の預言者とよく似ているという指摘がある。

 はたして「ポストコロナの宗門改人別帳」に、ぼくはどのように記載されるだろう。すでに社会よりウィズドローなアウトローだから、そのまま「非人」となるかも知れない。

 高級薬膳料亭の惣菜はうまかった。どうやら、ぼくはまだ罹患していないらしい。

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