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「信仰」の強さ

 たまたま見かけた人が、クリスチャンで芸能関係の仕事をしており、難民だという。外国人かと思って、ふと覗いてみた。そのブログには、その人の人生が描かれていた。

 いわゆる大都市圏からは遠い地方に生まれて、マリンスポーツが好きな青年期を過ごし、一念発起を目指したのか、おそらく東京へ出て来た。端役などでテレビ等にも何度か出たらしい。しかし、15年前に統合失調症を患ってしまったとのこと。

 その後、入院させられたり仕事を辞めたりと大変な人生を送ったようだ。しかし行動力のある人で、旅行先の欧州で大使館に亡命申請を求めて逮捕、勾留、強制送還を経験している。

 おそらく調子のよい日と悪い日があるのだろう。文体の乱れ方がそれを表している。支離滅裂なことを書いており、いわく、自分は集団で監視されているとのこと。典型的な統合失調の症状である。

 ところが興味深いことに、その人の「信仰」だけは普通に機能していた。つまり、創造主なる神、罪の赦し、神への賛美と祈り、聖霊の導きへの願いなどは、いわゆる健常者と何一つ変わらない。

 そこが本当に興味深い。信仰とは、これほどまでに強く普遍的なものなのか。P.ティリッヒが言うように、まさしく「究極的関心」であるがゆえに、信仰は存在の方向性ともいうべき、強固なものなのだ。

 間違いなく、その人は「信仰」によって救われていた。その人の精神は破れて崩れかけている。しかし、その人に一貫性を与え、希望を与えているものが「信仰」なのだ。

 いわゆる近代人と信仰は少し遠い。両者の間に、陰謀論や統合失調症を入れると分かりやすくなるのかもしれない。つまり、近代人の平たい現実認識のブレやズレとしての陰謀論、または統合失調症があり、その向こうにそれらさえも包む「信仰」がある。

 見ず知らずの誰かの内なるキリスト、聖霊の力を見たように思う出来事だった。神のかたち――ツェレム:צלמ と デムート:דמות――その相互浸透:περιχώρησις の深みを思わせてくれた人である。

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