原始の神社をもとめて
岡谷公二はフランス文学者・美術史家であるが、にもかかわらず民俗学に造詣が深い。先日たまたま古本屋で拾った新書の束のなかに彼の著書『原始の神社をもとめて 日本・琉球・済州島』をみつけた。前持ち主は、日本古来の宗教に関心があったのだろう。関連する分野の本10冊を2千円ほどで購入できた。そのうちの一冊が岡谷『原始の神社をもとめて...』だった。まず章立てを確認しよう。
第一章 済州島の堂との出会い
第二章 韓国多島海の堂
第三章 済州島の堂とその祭
第四章 沖縄の御嶽
第五章 済州島と琉球
第六章 神社と朝鮮半島
第七章 神社をめぐるいくつかの問題1 ――縄文・弥生と神社
第八章 神社をめぐるいくつかの問題2 ――神社は墓か
第九章 聖なる森の系譜
付章 神社・御嶽・堂 ――谷川健一氏との対話
ごくごく簡潔に要約しよう。岡谷は、伊波普猷、柳田國男、折口信夫らに導かれて沖縄へ足繁くかよった。その後、古書との出会いから韓国は済州島の「堂(タン)」について知った。驚くべきことに「堂」と沖縄の「御嶽(ウタキ)」は同様のものと思われた。御嶽と堂の類似――本書はこれを出発点とする著者の学識が織り込まれた紀行文である。
岡谷は探る。海女の島・済州島「堂」と韓国の他の島々「堂」に何か違いがあるのか。また「堂」の種類、祭祀職などに違いはあるか。また、それらと沖縄の「御嶽」は、どこまで相似しているのか。
岡谷は「御嶽は古神道のおもかげを残している」として、その起源を探る。それは日本の神社の起源を問うことにもなる。もし御嶽が日本の神社の古きおもかげを残してるのなら、済州島と琉球は、堂と御嶽によって通底するのではないか。事実、済州島、琉球、日本は「倭寇」と漂流者によって歴史的関係をなす。
こうして岡谷は、韓国南部から済州島へ、済州島から九州へ、九州西海岸から奄美、沖縄へと海上文化圏を構想する。そして理解する。御嶽も堂も神社も、ひとつの国名で語られるべきものではない。事実、朝鮮半島/渡来人由来の神社を全体の一割は確認できるではないか。
では神社の起源はどこにあるのか。岡谷は神社と古墳の関係、神社の境内より発掘される縄文・弥生時代の出土品について思いを馳せる。その起源は遥か縄文時代/弥生時代に遡るのではないか。では、神社は墓なのか。死穢を忌避するのが神道のはずなのに、境内に古墳を持つ神社があるのはなぜか。岡谷は埋葬地と重複する御嶽と堂の存在に気づく。
そして、ついに岡谷はその答えを日本だけに限定せずに東アジアに広げて問う。朝鮮半島と日本をつなぐ済州島・九州西海岸・琉球は「貝の道」とでもいうべき古えの海上通商路である。そこには「聖なる森の系譜」がある。
この系譜が対馬、薩摩、種子島、トカラ列島、奄美大島、琉球をつなぎ、その島々を渡るのが「ヤボサ神」である。ヤボサ神とは、小さな森や藪に祀られる正体不明の神である。藪社としてヤブサと読むといわれる。壱岐や対馬の神だと思われていたが、このヤブサ神は佐賀、熊本、鹿児島に分布する。九州西海岸一帯では聖なる森を「ヤブサ/ヤボサ」と呼ぶ。
そして沖縄の創世神話・アマミキヨの伝説は「藪薩の浦原(ヤブサチのうらはら)」という御嶽を含む聖なる森について遺している。アマミキヨは沖縄本島北部から御嶽を造っていった。それは日本から渡来した「ヤボサ神」とそれを奉じた倭人の南下を意味するのではないか。もしそうであるならば、原始の神社ともいうべき御嶽と堂をつなぐ文化圏が浮上してくるのではないか。これが本書において、原始の神社をもとめた岡谷の到達したイメージである。
以上の内容を民俗学者・谷川健一と岡谷は対談して、本書は締めくくられる。御嶽の起源、神社の起源、堂の起源は依然として謎のままであるが、問うことで見える景色を本書は指摘している。
縄文系は御嶽、弥生系が神社という簡単な話にはならない。日本の宗教文化は神社も御嶽も含め、広く東アジア圏において起きた文化交流の複雑な結果である。しかし岡谷は、御嶽と堂の類似から始めて神社の起源を東アジアの宗教文化の古層に求めた。それは聖なる森の系譜、島々を渡り歩くヤボク神であった。
岡谷の説が正しいのか否かは判らない。しかし魅力的で美しい。フランス文学者・美術史家として西洋文明に通暁し透徹した目線がみつめた先は、東アジアの南洋だった。
読後、いい本を読めたと思った。個人的に人類の宗教感覚は記号/言語の獲得と同時期だと考える。では、その記号が指し示した場所は何だったのか。のちに御嶽とよばれる聖なる森は、誰かの墓標から始まったのか。その墓標が地域によっては、御嶽となり堂となり神社となったのか。答えは歴史の夕闇にとけてしまって、ぼんやりと遠いものとなっている。
ふと沖縄の今帰仁城址でみた御嶽を思い出す。あの海や森に祀られる神々は一体どこから来て、いまどこにいるのだろう。今帰仁の海に坐す神は君真物(キンマモン)である。あの森の中で頬を撫でた海風の記憶が、なぜか見たこともない女神の微笑を思い起こさせた。
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