ミニマムな神を持つことの赦し
「神さま」が超越になって数年たつ。打ち寄せた波が引いて返すように、プロテスタント神学を自分なりに修めんとした十年のあとに来たのは、その十年を自己批判して解体する時間だった。もう「プロテスタント:protestatio」という語へのコダワリも執着も、撞着もない。ぼくはその程度のプロテスタントだったのだろう。
昨日、大阪ゲームマーケットで、出展したキリスト新聞社の手伝いへ向かった。店番で座っていると、子供連れの女性に声をかけられた。だれか分からなかったが、大学時代、夜中によ