(短歌)ひらがな、口語のこと

いま、読んでいる歌集に「ひらがな表記」が多く見られて、それがとてもいい。

漢字、それから熟語は、意味が強過ぎるのであまり目に優しくないと思うことがある。万葉集などに出てくるのを、わたしは目にやさしい読みやすい、こころに入り込みやすい歌として読んでいるけれど、あれは漢字であっても、無生物、自然、だったりするからそれほど意味がこもらない。むしろ、それはいい意味で対象物を一目で浮き上がらせる働きがある。

意味のことについて言えば例えば「結論」「脆弱」「獲得」などの字を見ると、意味は分かりやすいけどこれは不思議と、ずっと見ていると疲れてくるように思う。主張がはっきりしているものを読みたい時もあるけど、それがずっと続くとなかなか、疲れる。ずっと他人と対峙する時の気持ちを持ち続けなければならないのは、ちょっとでいいなあと思ったりもする。ああそうだ、自分も他人の目を気にしなければいけないな…とかいろいろと考えたりする。

で、話は変わるけど自分が結社に入りたての頃、何に意気込んでたかというとそうだ、女性性については色々と考えていたような気がする。なんでかというととにかくそれが目立ってたからと、岡井隆が目にするもので女性ってものの、今まで見たことのない新しい概念を作ってみたいとくそ生意気にも意気込んでたからである。それから、岡井隆という人の、文語口語ミックスのような、主体の話し言葉の中に色んな意味、それこそ漢字でかしこまって言わなければならないことを一言で言ってしまうような感覚、こもってるよねっていうのを、それをわたしはすごいかっこいいと思っていた。
例えば、そういう意気込みで作ったもの

ある意味で死春は今日薄曇るまだ知らぬなんて言い張ったつもり

これはわたしなりの岡井隆イズム、だったりする。(すみません。)
…というか、これを結社誌で引いていただけたというありがたさを今、噛み締めております。

一度そういうのをでも、ある時人から否定されて、なんだか恥ずかしくなったことがある。そういうのを、三十代のなんもしらない女がただ一人でやってると、なんていうかへんに匂うんだと思う。似合ってなかったかなあ。でもわたしなりに考えてたつもりだし、そして楽しいと思ってやっていたようにも思う。今は口語にそれていて、あとは題詠みをする事が多いので、だいたい語感に従って作ることが多い。

たとえば渡辺松男さんの
エルニーニョ乗り物酔いの語感あり…

や、村木道彦さんの
失神という語はひどくみだらなり…

のようなイメージ。わたしはこの短歌が好きなのである。それをふくらませていく感じなので、もうもしかすると「遊び」の範疇なのかもしれない。
口語ははじめから好きだったので、それを使うことに対しての違和感は全くない。むしろずっと「どうすれば、もっとやわらかく詠めるんだろう」と思っていた。いや、でも書き表したいのだ。意味を、論理を、真理を。そういう葛藤は、ずっとあった。あった、とかいってもまだ本腰を入れてやり始めて一年やっと経つくらいで、何を言ってんだかっていうレベルの話でもある。
変わったんだろうか。いや、でもよく考えたらあまり変わっていない部分もある。「その時見ているもの」「感じているもの」をその時の好きな感覚で詠んでるのに過ぎない。

ていうわけで、ちょっとこれまで書いたものをひらがな表記にしてみようと思った。以下、わたしの入りたてほやほやに詠んだものです。

考えぬままに着きたり自宅今せいめいいじの光はなちつ

まちがえて叱られる時わたくしは延長線上にあるたぶん、くさばな

うつつには不死があふるるよみがえりのサイクル七日物もかたちも

仲良しになるしゅんかんがいつも嫌地図なし男がくちぶえをふく

はれの日がおおく皐月の光光がみぞからあふれ止まらぬおさな

せきせつはたしかに深く楽しさをおもえば今は三日月のかお

はるおもうここちで人をおもうときえんもく寄り添う一人のごとく

何か、微妙でもありますが、しかしひらがな表記にすることで実際に口で喋っている感じがする。それから先に音が入ってきて、その後意味を知るっていう本来の歌のはたらきが生かせるようにも思う。


でも思うのは、簡単に真似する…っていうのはあまり良くないのかもなあということ。その人のやり方はその人の気質、それから紆余曲折があってそれにたどり着いたという理由がある。それならば、自分にも安易ではないそれをやる紆余曲折があるはずだと思う。例えば万葉集などでも、あまりに同じような歌が繰り返されているのを見るとちょっとぎょっとする。本物はあくまで、光って真っ直ぐ佇んでいるのですよ、といっても、ちょっとあなた、本当は何も言いたいことなんて無いんじゃないの?と感じてしまったりもする。まあ、それがまるまる自分に当てはまる事でもあったりする。学ぶっていうのが、「まねる」から来ているっていうのを教育書で読んだことがあり、それは間違いではなく、まるきりゼロから始められる人なんてなかなか居ない。どこかから情報を得ているのはもう避けられない。でも、やっぱ書きたいことを常に持ってはいたいなあ。
人のやり方は、あくまで「こういう方法も、ある」という感じで。新しい方法を見つけた時無条件にわくわくする…それは短歌を見つけた時、はまり始めた時の気持ちそのものだったと思う。


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ポエム、詩、短歌などを作ります。 最近歴史に興味があります。