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北極星、あるいは人生の方向性

生活に追われたり、健康に支障をきたして、穴埋めなどをしている。それらは一定の緊急性や保守性はあるが、人生の最終的な充実であるとか、根本的な自分自身の強みや「資本」を構築することに直接寄与するかどうかは微妙である。一方、将来のためになるだろうとか、いずれはこうなりたいという気持ちが大小あり、それらを反映するかたちで日々の行動や習慣を変容させている。

仮に健康や巨富や豊かな人間関係を手に入れていったとして、この先自分はどこに行き、なにを成し遂げ、なにを残せるのだろうか? あるいは、特段死ぬつもりも無いので、なにを残すかというのは私自身にとって真剣なトピックとは言えないかもしれない。それにしたって、やっぱり生きているうちに到達したい地点、いってみたい地点というのがいくつもある。

例えば、世界中を旅行して見聞を広めたい、といった凡庸な気持ちもある。それによって話のタネが増えるぐらいのことは想像できるが、それ以上の何が得られるかは、まだ実際周遊してないわけだからわからない。

例えば、自分自身の研究成果や構築した仕組みが他の人によって引用されたり、コミュニケーションや発想のきっかけに成ったりしたらうれしいものだ。それによって、一定の専門性があるコミュニティやギルドのようなところで、「ふかくさは一定の貢献ができるヤツだ」「これはふかくさに聞けば何か進捗が出せるかもしれない」と思われるようになるとうれしくなれるだろう。現状それができる分野があるとしたら、せいぜいエクセルの細かい機能を教えてあげるぐらいである。

ただ、出力としては、例えば特定の試験 exam に合格するとか、何等かの競争(ビジネスやスポーツなど)に打ち勝つとか、これまでに見たことのない何か素敵なものや異質なものを実際につくってしまうとかができて、それでみんなから、あるいは一部の人を実際に動かして継承者 follower が発生するように、あるいは自分自身が生み出した評価軸にもとづいて相互評価しあうような独立組織や文化を生み出せたらいいだろうな、と夢想するところもある。

しかし、仮に私自身が個人のスキル(人的資本)をいくら高めたところで、コミュニティあるいはギルドとしてのそういう新しい文化圏(関係資本、ソーシャルキャピタル)を創出できるかどうかはまったく別の話である。私より個人として優秀な人々はいくらでもいるだろうし、そういう人たちが私の功績や貢献に驚いて、それにしたがうかたちで文化圏を形成してくれるなんてことは、私自身が優秀な人間として社会的に認められる(例えば英語圏の大学で博士号を取得する)ことよりもありそうもない。

とはいうものの、個人のスキルが最高だから文化の創立者に成れるというわけでもないようだから、自分なりにどうやって新しい文化とそれを担(にな)う人々をクリエイトしていくか、その抜け道 way out を考えていきたいものである。

(1,210字、2024.08.23)

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