現代認識論についてのメモ

まず正当化・真・信念(J.T.B.)によって構成される古典的知識の定義がある。

次に、ゲティア問題で正当化された真なる信念であっても主体と知られる事態との間との関係が偶然的なような事例が持ち出される。言い換えると、古典的知識の定義を満たしながらも、直観的には知識ではないという事例が提出される。

さらに、そうであれば、主体と事態とが何等かのつながりを持てばよいのではないか?と思われる。そのような関係でまず思いつくのは因果関係である(因果説)。しかし、そのような因果説には「一般性問題」というのが提出される。

有名なのはジネット=ゴールドマン問題の例である。小屋を見て「あれは小屋だ」と発言する人はそれが小屋であることを知っていると考えられる。なぜならば、それは実際に小屋であるし、その小屋から一定の因果的な認知経路を経て発言者の信念が形成されているからである。因果説であればここまでで知識の説明としては必要十分だということになる。しかし、この事例ではその地域には大量の偽物の小屋(張りぼての小屋)があったという設定になっている。発言者が目撃したのはたまたま本物の小屋であったに過ぎない。このような状況設定が理解されると、発言者が小屋を認知したのは偶然であり、発言者がそれが小屋だと知っているとは言えないのではないかという直観が働くだろうというのである。

一般性問題はたとえ認知経路にキズが無かったとしても背景となる状況設定次第では認知が偶然的なものとなってしまうことを示している。ここでは知識というものが偶然的なものではないはずだという直観が働いている。一般性問題に応答するかたちで知識達成説などの徳認識論と呼ばれる立場が現代では展開している。

ここまで書き飛ばして幾つかのことが抜けていることに気が付く。例えば、

  • 外在主義と内在主義の区別

  • 信頼性主義の位置づけ

  • 知識の価値論(知識は一定の称賛に値する)

  • 文脈主義

などである。

なお、2020年11月12日頃、ジョン・グレコ、トマス・リード、ジェイソン・スタンリーの本などを買った。


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