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人間関係における小さなトラブルの効用 little troubles

それなりの期間を生きてきて、長い人間関係や親密な人間関係には「小さなトラブル」が当然発生するばかりか、むしろ意図的に起こしていくことさえ必要だと思うようになった。なぜならば、小さなトラブルはお互いに関心を継続しつつお互いの境界を尊重していることの確認のひとつだからである。

例えば、職場の飲み会に同僚を誘うとき、「絶対に行かないのだが、誘われたい人」というのがいたりする。こうしたタイプの人に対して、いつも誘ってみるけど断られるからといって誘わないと人間関係は廃れていくだろう。あるいは親しい人に対して「あなたがいないと寂しくなるから私から離れないで」と要請することも、実際にその人がお出かけするかどうかとは別に必要なコミュニケーションだろう。なぜならば、その人が一時的に「こんなことまで口出ししないでほしい」とイヤな顔をするかもしれないが、それでも相手が必要であるというシグナルを発しているからである。相手がお出かけすることに対して無関心であったり「いいよ、いいよ」と放任の態度を取れば一時的には「事なき」を得るかもしれないが、「事なき」とは思い出にならないということでもあるのだ。

したがって、人間関係を継続するためには小さなトラブルのプロセスが必要なのである。

一方、相手側からみてみると、明示的に誘われたり明らかに個人的なことにちょっと口出しされたりするというのは、拒否権 veto を行使することを正当化してくれる。そして、使用した拒否権を尊重されることで、自分自身の拒否権の存在・存続を確認できるという安心と共に、拒否権を行使したことによってわずかに「悪いな」という気持ちが後から生じたりあるいは自分は相手の提案を却下できる優越した存在なんだという優越感を得ることができる。だから、誘いを断ることは、行動を無条件承認されることとは違った、無条件に拒絶できるという自由を確認することなのである。

そして、行動を無条件承認されることは放置・放任と区別がつかない。なぜならばそれはやり取りに否定を含まないからである。例えば、誰かを放っておくことはあなたにもできるかもしれないが、それは死体(何に対しても無関心な存在)にもできることに過ぎない。一方、否定や拒絶というのは意図的かつ人間的な営みであり、これをお互いにしたりさせたりといったかたちで我々は長い人間関係を築くことができるのだ。したがって、相手側に小さな拒否権を行使させることや確認させていくようなチャンスを提供していくことが長くて親密な人間関係や、思い出が積み重なった豊かな人間関係のためには必要な行動なのである。

(1,085字、2024.03.02)

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