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岸田氏(仮名)の共感格差論

先日、「共感格差」という名前の記事が発表され、注目を集めた。

内容は通称〝白饅頭〟こと御田寺圭氏の「かわいそうランキング」に当たる現象を、ツイート数の統計などから改めて説明し、共感されにくい人々=「忘れられた人々」に注目すればポピュリストに成れる、すなわち、「忘れられた人々」を放置すれば、結果として例えばドナルド・トランプ大統領の出現などを招くと述べたものであった。

この記事について、Twitterで或る方と話す機会があった。ハンドルネームをここに記載してほしくないという希望を受けたので仮に岸田氏(仮名)しておく(会話は2022年9月6日火曜日)。私としては岸田氏の思想について、その大きな前提や全体の見通しを得る助けになると考えたのでここに記しておく。

合意された事実

まず、社会には属性によって様々なマイノリティが存在し、それらに対して外部の人々が寄せる注目あるいは共感の総量には限りがあり、その配分には偏り(格差)があること、さらにマイノリティ当事者の苦しみに応じて共感の配分がおこなわれるわけではなく、同程度に苦しいマイノリティAとBがいても、Aの苦しみの方がわかりやすく共感されやすければ、たとえBが同程度に苦しかろうとAのケアのためにさらに負担を強いられ、結果として格差が拡大すること──これらのことについては私(ふかくさ)と岸田氏は事実であるとして同意した。

ふかくさの捉え方

次に、「共感格差」問題の重み付けについては私と氏の捉え方は大きく異なる。私の思想は次の通り。「一般に格差そのものが生じるのはやむを得ない。格差是正よりも底辺に位置する人々への最低限の手当充実が優先である。共感格差も不幸を生み出す一因であると理解できるが、それよりも生存権の保障が現状不十分なのだからそちらが優先的かつ重大である。

また、共感格差によって恵まれた層と恵まれない層が生まれるのは仕方がない面もある。というのは、共感格差は人間本性によって発生し、誰に共感し誰を好み誰を愛し誰を支援する(=慈善)かはまったく個人の内面と表現における自由であって、そこに公権力が介入すべきではないからだ」。

岸田氏の見解(の再構成)

一方、岸田氏の思想を私が再構成して書くと次の通り。「共感格差は是正されるべき格差である。というのも、共感は生存になくてはならない資源だからである。共感格差が人間本性に属するというなら、全人類の肉体から、共感あるいは好き嫌いを司る神経部位を外科的に切除(あるいは機能無効化)するしかない。また、そのような共感格差に対しての公権力からの是正措置が人権を侵すというのであれば、人権をその意義、その〝目的〟から見直す必要がある」。

つまり、深草は共感格差は是正できずまたそうすべきでもなく、共感格差は慈善における格差だが、福祉という平等な別軸でいわゆる底辺層には手当されるべきだという思想なのに対し、岸田氏は共感格差こそ従来の人権を冒してでも是正すべきものだ(深草としていえば慈善の平等化をなすべきだ)というのである。

この後、「それでは人権を見直す、疑うとして、どのようなモノサシがあるのか?」という論点になり、例えば「幸福」などが候補にあがったが、深草側にはそのような抽象概念を論じる用意がなく、またここ(=9月6日の場)で論じる必要も無いと感じた。

深草の感想・評価

深草の感想・評価としては、まず岸田氏の「共感格差対策として全人類の神経の一部に手を加えるべきだ」というのはバカげた空想的な結論であり、実現性はもちろん現在のグローバルな人権秩序を乱す危険思想である。これは深草が保守的で〝既得権益〟だからだろう。

また、仮に岸田氏の言うように共感格差を重視し、それの是正をするとしても、脳の外科手術よりは産児制限政策を採用したほうがマシだ。現に「一人っ子政策」は実施されていた例があるのだから。人類が減少すれば共感格差は小さくなるか、ソフトな手段でコントロールできるようになるだろう。しかし岸田氏はこれにも不満で、現役世代の共感格差を今すぐに是正したいようであった。

第三に、岸田氏は米国のような共感格差が生存に直結しやすい自由過ぎる社会を主に想定している可能性はある。深草は日本の現状を念頭においており、日本では国民皆保険や銃規制など、既に人権は調整(言い換えれば全体のために自由が抑圧)されていて、共感格差が生存に直結しないように施策が打たれている。

一言で言えば、「岸田氏は空想的社会主義者の一角なのだな」と深草は感じた談話であった。結論の非現実性をみても、岸田氏が他人に対して説明の必要な直観を持っていることは明らかであるかと思うが、どうだろうか。

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