To Feel The Fire
火を見るのが好きだ。火で遊ぶのが好きだ。火には不思議な魅力がある。私以外の多くの人もそう思っているのではないだろうか。火災などのネガティブな場面に立ち合ったり関わりがなければ、似たような思いの人が多いのではなかろうか…となんとなく考える。
火「災」といえば災の字の中に「火」が入っている。語源を調べてみると、上のくの字×3は川を堰き止める「堰」というものの象形文字で人々が暮らす村のそばを意味しているらしい。下の火はそのままの意味で、歴史を顧みると火による災害が多かったことから、「わざわい」がこの字になったようだ。日本の歴史に目を向けると、火の神「カグツチ」が登場するように、畏怖・信仰の対象でもあったのだろう。そういったことを考えると火に対してポジティブな感情を持てること、火をコントロールできていることはすごいことなのだろうな。
そんな文脈から翻り、そうえば火をコントロールできなかったことがあったなとう思い出が脳裏に浮かんだ。父親に怒られた数少ないエピソードに火が関わっている。父の運転する車で焼肉屋に家族で向かう道中、社内にマッチ箱が落ちていた。好奇心の強い私は、運転中の社内で徐に着火した。危ないという理由で父は私を叱責したが、「そんなに怒られるようなことか」と思った私は表面上では反省していたが、内心、腑に落ちなかった。悪いことをしたかもなと思う一方、今でもあんなに怒ることか?と思うし、もっと怒られるべき局面はあったと思う。家庭にほぼ関与しなかった父親がなぜあの時ばかりはあれだけ怒ったのだろう。虫のいどころが悪かったのか、はたまたズレた父親なのか。真相は突き止める気はないし、今でもマッチは大好きだ。
他には2017年12月、卒業論文でヒーヒーいっていたある寒い晩、レトルトのスープを湯煎しようと鍋を火にかけていた。1Kの自宅はキッチンと部屋との間に小さな四角いすりガラスが嵌め込まれたドアがある。暖房の熱を逃がさないためにそのドアを閉め、沸騰を待っていた。待ち時間に研究論文を読み返していると、空腹からか全然集中できない。他のことを2、3考えてながらぼーっとしていると、視界の端に橙が過った。パッとドアに向き直ると、ガラス越しにオレンジ色の影が揺れている。慌ててドアを開けるとそこは火の海…というのは流石に大袈裟だが、小さな炎柱が燃え盛っていた。コンロの火が、隣接する洗い物の水切りトレーに引火したのであった。急いで水をかけて火を消した。人生初の消化活動だ。思いの外、火が消えず焦ったが何とか事なきを得た。危うく年の瀬に小火騒ぎを起こすはめになるところだった。みなさん、火災保険には入りましょうね。
そんな出来事があったにもかかわらず、火が大好きだ。今年の誕生日に市販のケーキに蝋燭を立てようとしたが、近所の店には誕生日用のそれが売っていなかったので、やむなくシンプルな白い蝋燭(小)を購入しケーキに打ちつけた。最小の容量の蝋燭を購入したが、それでも100本入りだったので、後日、燭台を購入して毎晩、蝋燭の火を見てから寝ている。心なしか安眠できているような気がする。消耗が目的だったがいつの間にやら習慣になってきたので、切れたら次のパックを購入してしまいそうだ。
好きな火で言えば、やはり花火だ。見るのも好きだし、やるのも好きだ。ここ数年はどちらもできていないが、2023年こそは絶対に花火をやると固く心に誓っている。絶対にだ。最後に花火をしたのは2016年8月。もう6年前か…なぜはっきり覚えているかといえば、この日が非常に過密スケジュールだったからだ。午前中、横須賀でカレーを食べ、食後に渡し船で猿島へ赴き、夕方に新宿駅で友人と合流。そこから立川まで向かって夜の河川敷で花火に勤しんだ。なんというバイタリティ。自分ごととは思えない。それにしても、幼少期は毎年やってたのにもう6年もやってないのは無念で仕方ない。来年こそは…
火の魅力というか魔法とでも呼ぶべき現象を先日感じた。「焚き火の前だとなんでも話してしまう」なんて聞いたことがあるが、まさにそれだ。キャンプで友人と焚き火を囲んでいた時の話だ。ベタ中のベタな話だが、火を挟んで対峙していると、相手が徐に直近の恋愛事情について話し出したのだ。そこそこ付き合いの長い間柄だが、いままで相手から色恋沙汰は一度も聞いたことがない。私が話題のトスを上げたわけでもないというところも特筆事項だ。あっけにとられて私は空返事を繰り返してしまい、上澄み液のごとく薄い話題を繰り広げてしまった。その後もつつがなくキャンプを続け、互いの帰路についたが、最後まで恋愛話が繰り広げられた際の柔らかい驚きが頭の片隅に居座っていた。火を前にしてその見えない力によって「話してしまった」のか、焚き火を免罪符に、本当は日頃から話したかったことをぶつけてきたのか。そんなことはどちらでもいいのだが、「酒が人間を駄目にするのではない。人間は元々駄目だということを教えてくれるものだ」というありがたいお言葉を、なぜかぼんやりと思い出していた。「高揚」という観点からは両者は通づるのかもしれない。私はお酒が苦手なので、飲酒で高揚したことはないのだけれど…
こんな具合に火の想起でこれだけいろいろ思い返せた。やっぱり火を見るのが好きし、火で遊ぶのが好きだし、火の不思議な力を信じてやまない。来年こそは花火を。
https://music.apple.com/jp/album/to-feel-the-fire-alternate-gospel-version/1521343026?i=1521346741
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