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放送番組のインターネット同時配信の権利処理が「放送同等」になるらしい件と携帯電話値下げ議論の将来的な衝突が防災関係者として心配。

菅政権の重要政策に「携帯電話値下げ」が掲げられて大騒ぎですが、これに実は関わりの出てきそうな事案で、これも突貫で進められている案件に「放送番組のインターネット同時配信等に係る権利処理の円滑化に関するワーキングチーム」というものがあります。

私自身、テレビに先行して実現した「ラジオのインターネット同時配信」に深く関わってきた経歴があり(iPhone3Gの時代からスマホをお使いの方はご記憶にあるかも知れません。radikoより先に、TOKYO FMは独自のアプリを出しました)、この事案についてはいろんな思いを抱えながら眺めています。どんなインパクトがあるのか、それがなぜ携帯電話値下げと関わりが将来出てくるのか、について、書いておきたいと思います。

そもそも放送と通信で権利処理にどんな違いがあるのか

放送局は電波法・放送法に基づいて「どんな放送をするのか」「どうやって変な放送をしないか担保しているか」などを事細かに申請して免許を受けていますので、様々な仕組みは「変なことはしない」という強い前提に立っています。

(実際にそうできているか、はさておき)そういうわけで、例えば放送においては、例えば音楽CDを使う場合、実演家(実際に演奏したり歌唱している人)やその権利を管理している原盤権者(概ね、レコード会社のこと)が持っている権利は許諾権(使っていいか悪いか、条件をもとに決める権利)ではなく、報酬請求権(使うことは妨げられないが、お金は貰える権利)として定められています。

文化庁ホームページより引用 https://pf.bunka.go.jp/chosaku/chosakuken/naruhodo/outline/5.2.html

これが通信の世界、例えばAbemaやニコニコ動画などでは「公衆送信権」という別の名前の権利として実演家をはじめとする著作隣接権者には「許諾権」が与えられているので、提携しているレコード会社の素材しか使えない、といったことになります。個別に1曲1曲処理しているのでは大変な事務コストがかかってしまうので、包括許諾がない限り、事実上、番組で音楽を使うのは難しいのです。

よくJASRACが悪い!みたいなことを思い込みでおっしゃる方がいますが、実際にはJASRAC(著作権管理団体)だけに許諾を取っても、著作隣接権の管理団体(日本レコード協会や芸団協CPRAなど)とも調整しないと、音楽は使えません。

上記の例は音楽CDについてですが、当然、テレビ番組は脚本家、出演者、演出家、カメラマン、そのほか色々なプロが関わって出来上がっていますので、それぞれについて許諾権ベースで処理を行なっていると、DVDやBlu-rayを作ることが前提で契約書を作っているドラマなどはともかく、報道番組やバラエティ番組などは、とてもじゃないけど処理しきれません。

というわけで、この辺りを包括的に処理できる仕組みを作って、円滑にインターネット同時配信できるようにしよう、というのが、今回立ち上がったワーキンググループの目的です。

日本におけるインターネット同時配信の特殊事情

日本でテレビやラジオがインターネットでなかなか完全同時配信されてこなかったのには、いくつかの事情があります。これについては詳しく検討されている方がたくさんいますので、ごく簡単に触れるに留めます。

1)上記の「公衆送信権」という権利の存在

公衆送信権という名前でインターネット上の権利を分離して取り扱うのは日本の著作権法に固有の考え方で、先進的とも当時は言われていたようですが、結果的には足枷となったという声もあります。

2)日本では地上波放送直接受信の普及率が高かった

個人的には大きいのはこれなんじゃないかと思います。戦後、日本ではテレビが一気に普及した際、東京タワーをはじめ「先に送信塔がどんどん建ち」、アンテナを立てて家庭で受信する方法が普及しました。狭い国土だからできたことでもあります。国土が超絶広いアメリカでは、受信できない地域も多いので、ケーブルテレビが主力受信手法として普及し、結果として多チャンネルになったし、それが放送なのか通信なのかを明確な区分する理由もあまりなかったので、サブスクリプション型のインターネット配信サービスの普及も早かったと思われます。ただし、CATVの普及率が高かったことで、各家庭に引き込まれるケーブルが光ファイバー化する契機がなく、高速インターネットの普及が遅れたのでは、という論考もあり、その辺は面白い因果だなぁと思います。

なお、ヨーロッパでは放送インフラ部分を公営・民営・チャンネルを跨いでどころか、国を跨いで共同経営するREDBEEという会社があり、アメリカからHuluやNetflixに占拠されまいと踏ん張っています。(私が以前関わっていた新放送サービスは、この上下分離型経営をロールモデルにしたものでした)

3)結果として、ネットワーク局による共存共栄モデルが生まれた

上記のようなテレビの普及の経過によって、日本では概ね都道府県ごとに新聞社と密接な関係をもつ放送局が誕生することになりました。新聞社は地元経済と密接に繋がり、地元の広告スポンサーによって成り立っていますので、テレビにも「ローカルCM」が導入されることになります。かといってそんな小さな経済圏で全部の番組を作る原資は出てきませんので、概ねキー局・準キー局から番組とスポンサーの供給を受け、一部分を「ローカル番組」として制作する、という体制g確立します。

つまりこれは、「東京の番組を一部分見せないで、ローカル編成にすることで成立している」わけなので、東京の番組が全国で見れることには、視聴者を失う、という懸念があります。また、東京で制作した番組を全国で放送するためにスポンサーは全国分のスポンサー料を支払うわけなので、ネットを通じて全国で見れるようにすると、「じゃぁ東京ローカルだけでええわ」となってしまう可能性もあり、二重に地方局は収益を失うリスクがあります。

このビジネスモデルの転換にかかるエネルギーがあまりにも途方もないため、地域ごとのコンテンツ制限の議論とどうしても分離しにくいネット同時配信は、議論として忌避される傾向にありました。

ラジオがあれだけ早くからエリアフリーも含めて取り組んでいたかといえば、理由はシンプルで、「権利構造が比較的シンプルで、交渉により解決できる可能性があったから」(AMはスポーツ中継がありますが、FMは主に音楽とトークなので)と、「このままだとラジオを誰も聞かなくなる」可能性が現実のものになりつつあったからです。

NHK+の出現

しかしそこにNHKは、「公共放送から公共メディアへ」の経営目標を掲げて、NHK+のサービスを開始してきました。数年がかりで実績を積み重ね、高市大臣からたくさん条件をつけられたり、民業圧迫にならないようにと色々な足枷をつけられつつではありますが、「テレビを持っていない人が増えていっても、自分たちの存在意義が発揮できる状態」を作ろうとする熱意は只者ではないと思います。NHKオンデマンドが始まった時もそうでしたが、NHKはニュースなど比較的権利処理しやすい番組の編成比率が高いとはいえ、過去の莫大な映像ライブラリなども駆使した番組を作っているので、一つ一つの番組権利の処理は尋常ではない手間を欠けているはずです。24時間配信は上記の制限でまだ行われていませんが、本気出せば全番組配信してくるのだと思います。

これで困ったのが民放でありまして、できない理由を述べるのが難しくなってきました。そこで「できない理由があるのなら、それを述べて、解決してほしいと言いなさい」と諭される状況となり、総務省によりアンケートが取られ(PDF)、上記のワーキンググループの設立に至ります。そしてなんとこのワーキンググループ、次の通常国会までに素案を作って法改正を目指す、という爆速スケジュールです。

そこで呼び出されているのがこれだけ大量の権利者団体です。見てるだけで疲れる。

ところでユニバーサルサービスとは何か

ほとんどの方は「まぁ、でもネットでテレビが見れるならいいんじゃん」とお考えだと思うのですが、ここで気になるのは「ユニバーサルサービス」という考え方との兼ね合いです。

NHKについては、全ての国民にあまねく放送を届けることが法律で課せられた使命ですので、どんな僻地だろうが離島だろうが、テレビとラジオが届くように送信所を全国に張り巡らせています。果たしてネットでもテレビが見られるようになった時、それを続けるんだろうか?というのは、誰もが疑問に感じるところです。 

民放に至っては免許で許可された範囲内で、できるだけ視聴者を増やそうと経営努力で受信環境の改善を行なっているものですので、それ以上に送信所が廃止されたりすることはあるのかも知れません。少なくともラジオでは、「FMとradikoに移行して、コストの高いAM放送(送信所が巨大だからです)は減らしていきたい」というスタンスが明確になっています。

NTTも少し前に、どうしても固定電話サービスを継続提供することが難しい地域については、無線、要するに携帯に置き換えることもやむなし、という方針を示しており、これを認める法改正の閣議決定が今年2月になされました。
https://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kisei/meeting/wg/toushi/20200304/200304toushi01.pdf

(タイトルに書いてないけどしれっと本文に一言書いてある)

同じようなことが放送でも起きるのは必然だと思います。

5Gは魔法の杖ではない

5Gになればネットは「同時多接続」「超低遅延」「超広帯域」が実現するんだから別にテレビもネットで見ればいいじゃん?という声は、実は放送業界内でも聞こえる話ではあるのですが、そんなに簡単な話ではありません。

1)そもそも5Gは「なんちゃって5G」と「ミリ波の本物5G」がある

4Gの中継局を転用した「なんちゃって5G」は、4Gとそんなに違いません。みんなでテレビ見ようぜ!ってなったら、相当基地局に負担がかかると思われます。

2)3つのパラメータに同時に全振りできるわけではない

仮に「本物の5G」であっても、前述のパラメータはトレードオフ的なもので、全部を同時に実現できるわけではありません。今のところ、小規模なイベントレベルでは「多チャンネルの映像がガンガン4Kクオリティ以上で配信されている」ような体験ができる!と謳われていますが、あらゆるものに5Gが乗っかってきた時、どこまでパラメータをうまく割り振って、限られた電波資源を「広帯域」と「同時多接続」と「超低遅延」それぞれの特徴が必要なサービスにあてがっていくかは、まだ世界のどこにもノウハウがないと思われます。

みんなでテレビ見てたら自動運転車が止まったり、医療ロボットがカクカクしたりしたら、困るじゃないですか。

3) 通信回線がどれだけ良くても、サーバとネットワークの途中はどうする

Netflixは2017年の段階でAWSのインスタンスを全世界で10万以上消費し、米国のネットワークの3割を消費することもある、と報道されています(今はもっと激しいんだろうな)。流石にネットワーク事業者もだまっていない負荷なので、ISPにミラーリングを直接置かせてもらう、という方法もとっています。

要するに、末端だけ早くても、サーバとネットワーク全体の問題です。日本では日テレ・IIJを中心にテレビ各社が出資してJOCDNというCDN共同調達会社を発足して、そこにNHKも参加することを促されましたが、「視聴者が増えるほどにかかるコスト」というのは無料放送がベースの地上波放送局にとって未知の領域で、ISPという外部経済にも関わるが故に、全くどうなるのか想像がつきません。

携帯料金下げながらこういう研究開発を誰がするのか

5Gの基地局開発は日本メーカーもこぞって頑張っているものの、中国が激烈にこの分野に投資しており、おそらくその経済摩擦の一環としてトランプさんが色々怒りをぶつけているのは既報の通りです。そんな中、菅政権が携帯電話会社をギューギューすると、結果的にこの起伏に富んで人口密度が高く、電波技術者泣かせの日本に真っ当な5Gインフラが整備されることは無くなるんではないかという心配が頭をもたげます。上下分離で経営すればいいとか、ミラクルCが捻り出されているという風説もありますが、それこそインフラ部分こそ、競争原理があって初めて、今の品質が担保されていたのではなかったでしょうか。日本の携帯電話代は高いかも知れませんが、地下だろうが新幹線の中だろうが確実に繋がる品質はずば抜けてすごいと思います。

そんな状況下で、災害時にも回線パンクを起こすことのない、情報インフラとして最後の砦であるはずのテレビが、インターネット同時配信に力を入れて、「放送波の方は…主要な都市だけでいいですよね」となるのは、本当にそれで大丈夫なんだっけ、と心配になるのです。

防災に関わる1人として

藤井はJX通信社で、メディア企業やインフラ関係会社、行政団体に対してAIとソーシャルメディアなどのビッグデータを活用した防災・リスク情報の速報サービス「FASTALERT」を提供しています。特に地方メディアは取材にかけられるコストも年々厳しくなってきている中、いかに安価かつ迅速に正確な情報を収集することに貢献できるか、という観点で、プロダクトをご提案しています。

その「災害報道」も、放送というインフラが整っているからこそ、市民に届けることができ、生命や財産を守ることに役立てられます。そして、国民の生命や財産を守るための報道を行うことが、国民の共有財産である電波のかなりいい部分(周波数帯)を、放送事業者に付与している理由となっています。

周波数オークションの導入とか、放送の電波を整理して通信事業者にあげればいいとか、色々な意見が出ていますが、そもそも「その電波で何を伝えるのか」という根幹が揺らいだり、「その通信手段で有事にも確実に必要な情報が届くのか」という点の確認が疎かなまま、平時の経済性だけにフォーカスして制度設計を行うと、訳の分からないことになります。

「そもそも何がしたかったんだっけ」というところを見失うことなく、ドコモ口座のように「相手がちゃんとやってくれてると思った」という不幸なすれ違いを起こさずに、通信と放送の本当の意味での融合が進むことを、この分野に長く関わった者として願っています。


自分の仕事(地方自治、防災、AI)について知ってほしい思いで書いているので全部無料にしているのですが、まれに投げ銭してくださる方がいて、支払い下限に達しないのが悲しいので、よかったらコーヒー代おごってください。