東洋医学と自然科学と気のモヤモヤ 2~東洋医学の気の思想について〜

2.東洋医学の気の思想について

1)素問陰陽応象大論による「気」

まず東洋医学と気の関係についてです。東洋医学の原典『黄帝内経』素問の陰陽応象大論に次のような文章があります。

原文
陰陽者.天地之道也.
萬物之綱紀.變化之父母.生殺之本始.神明之府也.
治病必求於本.

書き下し(現用の漢字にしました。)
陰陽は天地の道なり。万物の綱紀、変化の父母、生殺の本始め、神明の府なり。

意訳すると
陰陽は、天地を支配する法則である。
万物を分類・支配する大法と細則であり、万物が変化し栄枯盛衰するもとであり、万物の根源である気を働かせ機能させる場である。
故に、病を治療するにも、万物の根本原理である陰陽を求める事が大事である。

でしょうか。

「気」という言葉が入ってないのに意訳に「気」があるのはどうか?というつっこみが聞こえてきます。(笑)
江戸時代の医学者、岡本一包が大好きなので、彼の『素問諺解』のなかでこの部分の「神」について「神は陰ならず陽ならず陰陽変化測りがたし天地の間の一気を謂う~」と説明していて、それを含んで意訳しました。
           
この中で大事なのは「神」つまり陰陽属性のない「一気」が法則にしたがっていろいろ変化する所です。
実は、これ、一元論という考え方の範疇で、気一元と呼ばれています。

2)一元論

一元論について
平凡社 世界大百科事典 第二版からの引用
世界と人生との多様な現象をその側面ないし全体に関して,ただ一つの(ギリシア語のモノスmonos)根源すなわち原理ないし実在から統一的に解明し説明しようとする立場。単元論singularismとも呼ばれ,二つおよびそれ以上の原理ないし実在を認める二元論・多元論に対立する。哲学用語としては近世の成立であり,C.ウォルフが初めてただ一つの種類の実体を想定する哲学者のことを一元論者と呼んだ。すなわち,いっさいを精神に還元する唯心論,物質に還元する唯物論,精神と物質とをともにその現象形態とする第三者に還元する広義の同一哲学などは,すべて一元論に属する。

三省堂 大辞林 第三版からの引用
ひとつの実在や原理から世界のあり方を説明する哲学的立場。根源的なものを何とするかは立場により多様であり、ヘーゲルの絶対者、神秘主義における一者、仏教の真如、老荘の道などが著名。また、世界を精神や物質に還元する唯心論や唯物論もこの傾向に属する。

東洋医学は「老荘思想」の影響を多く受けていて、当時の最新の理性的な考え方である「気」とそれを動かす「陰陽」をその理論背景としたのだと考えられています。

気一元と陰陽論の仮説というか主張をまとめるとおおむね下記の様になります。
今風にいうと、根源の素粒子と究極理論の仮説でしょうか?
古代中国人は、万物の根源たる気と陰陽の法則という設定(ただの空草ではなく自然観察の産物です)を用いるといろいろ説明と予測がついて便利だ!としたのではないかと想像しています。実の所、西洋の思想との相性も悪くないのですよ!

気一元と陰陽論が当時画期的だったのは、これにより「鬼神」の支配から離れられたという事です。医学においては、呪いに頼らなくなったということです。史記の『扁鵲倉公列伝』で扁鵲が『巫を信じ医を信ぜざるは、六の不治なり』と言っています。扁鵲自身は仙人みたいな人なのでなんか面白いですね。

近代発展の方向性についてはもう、私の頭のなかはもやもやしてたまりません。(笑)

3)気一元と陰陽論

気一元
・自然には、万物の根源である気が満ちている。
・気の運動は陰陽という法則に支配されている。
・気の運動の状態により、陰と陽の気が生まれ(陰と陽の性質が表れ)、 万物が存在することができる。

陰陽論
・陰があれば必ずそれと対応する、または対立する陽があり、陰だけがあって陽がない、陽だけがあって陰がないということはなく、相い合してはじめて物は存在することが出来る。
・陰陽は、互いに制約しながら平衡を保ち、時間的経過において、陰が退くときに陽が現れ、また陽が隠れるときに陰が進むというように、陰陽は相い交わり循環する。

気を操る鍼灸治療が究極の医学であるというロマンが発生するのはこのあたりにあるのだと思います。
私にも実感があることなのですが、「気」を中心にものを考えると、あたかも「気」があるがごとく世界がふるまっている様に見えてきます。
実に気持ち良さげですが、今の私はもやもやします。(これが真理だとはまった、大二病(中二病の再発)の時期があるのです。修士時代にだいぶ収まりました。)

つづく

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