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温もり

今年も豊永阿紀ちゃんの生誕祭にお邪魔しました!
わたしにとって初めての目撃者公演でした!
去年よりも席が近くて、より見やすくなっていて幸せでした
目が2つじゃ足りない…!とうれしい悲鳴を心の中で叫びながら、口ではミックスをもそもそと打ってました

本当にたのしかった〜〜〜!
あきちゃんとゆかちゃんのダンス大好きなんですよねえ
チームが分かれてしまったので見るの難しいかなあと思っていたけど、見れてよかった!

会場を後にしてから、バスに乗ってから、あきちゃんのスピーチをずっと反芻していました。色んな感情や思考が生まれるけれど涙ばかりこぼれて、うまく形容する術を持ち合わせていませんでした。
バスの乗り換えをしながらふと気づいたのは、わたしはあきちゃんの言葉に救われたんだなあということでした。
今年は自分の価値観が揺らぐ出来事がたくさんあって。いい方面に価値観が変わった出来事もたくさんあったけれど、やっぱり一つ大きい出来事がどれだけ時間が経ってもずっと頭にあったんです。当たり前だと思っていたことはいとも簡単に崩れて、溺れたような息しかできない日々も、自分の手には負えないくらい苦しい現実に押しつぶされそうになる日もありました。
そんな中、何度も何十回も繰り返し考えていたことがあって、それはアイドルという職業についてでもあり、アイドルを消費する側にいる自分についてでもあったのですが、その思考に対する一つの答えのようなものをもらったような気がします。
「誰かの悲しい瞬間のためにこの仕事はあるのではないか」という言葉も、今の自分に当てはまっていているなあと思いました。実際、生誕祭当日はわくわくしながら服を選んで、バスに揺られながら目撃者公演の曲を予習して、時にはリズムを刻んで、公演前も公演中もずっと幸福感に包まれていました。
わたしを飲み込む事実は今も変わらずそこにあって、知らず知らずのうちに否定的な感情で自分の心を満たそうとしてしまうけれど、あきちゃんに会いに行くまでの時間はそんなことを忘れてしまうくらい無意識のうちに幸せを感じていたんですよねえ。
あきちゃんが考えるアイドルもとい芸能のお仕事がそれならば、わたしはアイドルを好きで、力をもらっていることを後ろめたく思わなくてもいいんじゃないかと少し思えました。もちろんこれだけが答えではないから、きっとわたしの思考は続くのだろうけど、あきちゃんを見てる間は気負わなくてもいいのかなと思えました。

今年の生誕祭はきっと忘れられないものになるんだろうな、という確信に近いものがあって。憂鬱の波に溺れて息すらできなくなる瞬間がきても、あきちゃんの言葉をお守りにしていたら大丈夫かもと思えてしまうような力を感じました。
あきちゃんの言葉って暖かくて、的確で、元気になれるんですよねえ。

あきちゃんが紡ぐ文章が好きだから、自分も文章として残したくなってしまって長くなってしまった。
あきちゃんってやっぱりすごいなあ。

24歳の1年もあきちゃんが健やかに、幸せに過ごせることを願ってやまないのです。
お誕生日おめでとう。

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