見出し画像

【エッセイ】「弱み」を見せるって?

大学を卒業する直前や卒業した後に、「実はあのとき思ってたけど言えなかった事」を発表される時が何度かあった。

「何考えてるか分からなかった。」
「怖い人だと思ってた。」
「素見せてないよね?」


寝耳に水だった。


自分を出せなかった高校時代とは違って、自分らしくいられているなと思っていたからだ。

それらとほぼ同時期、恋愛の終わり際に同じようなことを言われる時があった。

「弱みを見せて欲しかった。」

あれ、そういえば「素」「弱み」ってなんだっけ?


それとまた同時期にもやっとした言葉があった。
「好きなものが一緒より、嫌いなものが一緒の方が打ち解けられる。」


全部に共通点がある気がした。
みんなにとって「素を出す」とか「弱みを見せる」とか「本音で話す」とかは「マイナスを共有する」ということなのではないだろうか。


本当は思っていた嫌なこと、本人には言えないけど嫌いな人のことを、それらとは離れたところで、同じように思っていた人と「共有」することが「素を出す」「弱みを見せる」「本音で話す」ことだと、社会人になって思うことが多々あった。

会社の嫌なこと、会社の嫌な人のことを居酒屋で話すことがストレスの発散だったりする。

陰口や悪口を交換することが、絆や信頼関係や友情を生む。


私はそれらをずっと避けてきた。


同じ職場で働く両親が、夕食時に職場の文句を話しているのがとても嫌だった。


他人が経験した嫌だった話を聞くのが嫌だった。


よく「話を聞いてもらえてスッキリした」という言葉を聞く。内に溜めたストレスを言葉にすることで、口に出した瞬間から蒸発して消えてなくなるような感覚なのではないだろうか


私は全然違った。その人が吐き出したストレスを分割して少し分け与えられているような感覚があった。


だから自分は意識して人にストレスをお裾分けしないようにしていた。


でもそれは素や本音を出していないことになっていたのかもしれない。


なんだそれは。



負の感情を共有しないと人と繋がれないの?


じゃあもうどうしたらいいかわかんないじゃん!笑


でも素とか弱みを見せるってそれだけじゃない気もして。


確かに自分でもなんか窮屈に感じたり、本当の自分で話せてないなと思うこともあったりする。


でもどうしたらいいのか分からない。


教えてください笑

この記事が参加している募集

#私のストレス解消法

11,370件

物書きになりたいという夢を叶えます