見出し画像

「第2回ケモノ学会」 in Kemocon16を振り返る|聴講ノート#2

〖2023年10月31日更新〗

Kemocon(ケモコン)は、「みんなでケモノを楽しもう!」を標語に、年に1回開催されるケモノコンベンションです。16回目の開催となった今回(Kemocon16)の会場は、前回に引き続き御殿場高原時之栖(静岡県御殿場市)で、開会式の前日にあたる「0日目」を含め、10月27日(金)〜29日(日)の3日間の会期で開催されました。

標題の「第2回ケモノ学会」は、Kemocon16の2日目(29日)に実施されたプログラム(「企画」といいます)の一つです。「学会」と銘打ってはいるものの、「ケモノ」に関連する内容であればなんでもOKで、実際、ライトニングトークに近い形式です。
※上記のハイパーリンクは、2023年10月31日に参照。

筆者(豅)はKemocon15で実施された前回(第1回ケモノ学会)、まんぐさん、たまもっきゅさんと一緒にコメント役として登壇しました。ただ、筆者(豅)だけ発表の用意が間に合わず、最前列でお聴きするだけの存在になってしまいました。
※前回の様子はまんぐさんがまとめています。詳しくは下掲の記事をご参照ください。

そこで今回、筆者(豅)も発表にエントリーしました。先述のとおり、必ずしもアカデミックな内容でなくてもよいので、実際の参加者の興味・関心に寄り添い、かんたんな内容で発表することをまず考えました。ところが……なかなかよい案が思い付かなかったので、それならあえて筆者(豅)が抱いている疑問(未解決問題)について語ってみようと思い至り、発表内容を組み立てました。

以下、筆者(豅)による個人的な(=非公式)聴講・発表ノートです。内容に誤りなどありましたらご指摘いただけますと幸いです。なお、筆者(豅)を含めて4名が発表予定でしたが、うち1名が体調不良で無念のご欠席となったため、開催当日は3名が発表しました。

【演題】
〇ギル|俳句・季語とケモノとの関係性
〇からくると|はじめてのけものこんべんしょん!
〇豅リリョウ|なぜいまケモノが好きでいられるのか──動物観の歴史をめぐる断想

(敬称略)

発表①:俳句・季語とケモノとの関係性

発表の概要

五・七・五の十七文字で情景を切り取る俳句には、通常、季語を盛り込む必要がある。『歳時記』にまとめられている季語は7種(※)に大別され、その中には動物にまつわるものも多数あり、これがケモノと接点を持つのではとのこと。
※『夏井いつきのおウチ de 俳句』にある「俳句季語辞典」では、人事、植物、宗教、地理、動物、時候、天文の7種。『Wikipedia』にある「季語一覧」では、時候、天文、地理、人事、行事、忌日、動物、植物、食物の9種。

季語に現れる動物種はさまざまだが、「龍」など想像上のものも含まれる。それでいて、「虎」など含まれないものもある。発表者による分類は下記のとおり。

  • 旬のある種族(冬に漁を行うものとして、「鯨」、「海豚」、「鮫」……)

  • 狩猟の対象である種族(基本、狩猟は冬(正確には秋〜冬)に行うものである)

  • 渡来する種族(夏鳥(春に来て〜秋に帰る)と冬鳥(秋に来て〜春に帰る)がいる)

  • 繁殖期のある種族(「獣交(さか)る」、「猫の恋」、「鳥の巣」……は春の季語)

  • 行事に関わる種族(「猟犬」、「耕牛」……)

  • 故事成語に由来する種族(「馬肥ゆる」、「龍天に登る」、「鷹化して鳩と為る」……)

質疑応答

たとえば兎には夏毛・冬毛があるが、一つの種族が複数の季節に現れる例はあるか?
→「蝶」。それ自体は春の季語だが、「夏の蝶」は夏、「凍る蝶」は冬の季語になる。また、名詞に季節を直接修飾することでも季語にできる。

「鮫」を用いた俳句を知りたい
→例句はいろいろあるが、「鮫」単独の句は少ない(季重なり(季語を2つ入れること)にして、「鮫」の季節感を薄めた例句が多い)。

ぼくぼくと殴たれて白い白い鮫

すりいぴい(参考

虎が季語ではないのはなぜ?
→詳しくは分からない。ただ、(虎が季語になるためには)まず多くの人たちが虎について同じ情景を思い描いてくれるようになることが必要(たとえば「花粉症」、「新入生歓迎会」などは季語的に使われ始めている)。そうすれば、次世代の『歳時記』を編纂するときに季語になるかもしれない。

筆者(豅)の感想

発表者は、着ぐるみと俳句が趣味のギルさん。筆者(豅)もこの方以外に着ぐるみと俳句の両方に通じている人を知らないので、今回の発表はさながら同氏による俳句の世界への招待のような雰囲気がありました。
※漢詩ならもしかしたらお一方いる……かもしれないのですが、確証が持てていないので匂わせるだけにしておきます。

動物そのものに季節感があるという理解より、特定の動物が解け込むことで成立するある特徴的な情景について季節感があるという理解の方があっている気がしています。その解釈からすれば、「ケモノ」よりも「Kemocon」の方が季語になる可能性が高い……かもしれません。

発表②:はじめてのけものこんべんしょん!

発表の概要

ケモノコンベンションへの参加を促す常套句として、「着ぐるみを持っていない人でも楽しめます!」がある。その主張の根拠として、(パフォーマンスなどを行う)ステージイベント、ケモノ着ぐるみパレード、(さまざまなテーマでの)トークイベント、ゲーム大会、各種パーティー、そして(この「ケモノ学会」のような)発表会など、着ぐるみが主旨ではない(さまざまな分野の)企画があることを挙げることが多い。

それに対して、下記の疑義を申し立ててみたい:

  • 「持っている」人の居場所は紹介(明示)されているが、「持っていない」人の居場所は紹介(明示)されていないのではないか?

  • ほとんどの企画は「演者」と「観客」で分かれていて、とどのつまり、「持っていない人」は「持っている人」のおこぼれをもらって楽しんでほしいと示唆しているのではないか?

老若男女が分け隔てなく楽しめるケモノコンベンションの姿について、下記を提言してみたい:

  • 「演者」と「観客」が分かれない企画があれば、「持っていない人」でもよりインクルーシブに楽しめるようになるのではないか?

  • 「ケモノが好き」、「ケモノに興味・関心を持っている」という最大公約数があるからこそ、共有できることがあるのではないか?

質疑応答

コミュニケーション上の障害には、(各個人の持つ)躁鬱(というファクター)もあり、相手との距離をどうしても測りかねる……
→正直なところ答えを持っていないが、相性という観点もあるはずなので、やはり出会いの機会を(継続的に)探していける環境になっているとよい。

イベント参加者側(あるいは観客)に能動性をいかに持たせうるのか、イベント運営者側(あるいは演者)もよく検討していくべき?
→(あるプログラムでは)演者と観客で分かれていたとしても、その観客から(ほかのプログラムで)演者を擁立できる仕組みを作ることも一考の価値はありそう。

筆者(豅)の感想

ケモノコンベンションに限らず、ケモノ着ぐるみイベント、ケモノオンリー同人誌即売会、そしてケモノコミュニティー内オフ会など、催し物のほとんどは交流を主旨としています(※)。「ケモノが好きなら、居場所はある」──発表者、からくるとさんの力強いメッセージが印象的な発表でした。
※ケモノ系作品展示会などでは、交流が主旨とならない場合もあると補足しておきます。

発表③:なぜいまケモノが好きでいられるか

発表の内容

※以下、発表に使ったスライド資料を一部公開します。

質疑応答

現代の科学的知見を歴史の解釈に援用できないか(発表者(豅)による問題解釈)
→18世紀後半に円山応挙が犬の絵を好んで描き、19世紀前半に歌川国芳が猫の絵を好んで描くなど、江戸時代に華開いた動物絵画文化について、府中市美術館の「かわいい江戸絵画」展(2013年)(※)では「“かわいい”は“かわいそう”に通じる」と解説していた。
このような動物に対する同情は、ある意味、人間による自然の征服が完了したが故に抱くことのできる強者の感情であり、キュートアグレッション的だとも言えるかもしれない。
※発表では「府中市美術館」を「小平市美術館」と、「かわいい江戸絵画」展を「かわいい動物」展と言い間違えました。ごめんなさい、この場を借りて訂正します!

筆者(豅)の反省

20分の発表時間をいただいていましたが、その時間では到底収まらず、結局10分以上超過してしまいました。また、本来であれば1ステップ(1フェーズ)ずつ説明するべきところを、要旨だけ述べて流してしまったスライドがいくつもありました。……またこうした発表の機会をいただいた暁には、もう少し事前準備をしっかりしたいなと反省しております。

今回の発表内容ですが、実は過去に別イベントの企画で発表した内容の延長線上に位置しています。

  • 「なぜ動物を愛せるのか?──ヨーロッパ史から考える」
    JMoF 2016企画「ケモナー論文公聴会」、第2回Furry研究会(※)で発表(いずれも2016年)

  • 「擬人化動物で巡る思索の旅」
    第92回(2019年)五月祭「東大もふもふ研究会」(Furry研究会による企画)

  • 「動物への憧憬──近代イギリスの子ども文化×動物観を紐解く」
    第70回(2019年)駒場祭「東大もふもふ研究会」(Furry研究会による企画)

※この「Furry研究会」はインターカレッジサークルのFurry研究会ではなく、ワークショップイベントのFurry研究会(2016~2017、計8回開催)です。狐野俊さん、まんぐさん、筆者(豅)の3名で運営していました。この活動の存在もケモノ文化論考同人誌『Philosofur』(2017~)の刊行に寄与しました。

……あれからもう7年も経っているなんて恐ろしいですね。とはいえ、この7年間で得てきたものも少なからずありました。今回の発表でいえば、日本に仏教が伝播してきたことによって、動物の神格が下がったという言及などが新しい内容になります。また、今回の発表に盛り込まなかった「ファンダム」についての歴史は、

  • フレッド・パッテン(2018:今村聡志訳)「回顧録:ファーリーファンダムの年代記──1966年~1996年」『Philosofur』[#2]Philosofur編集部

  • 豅リリョウ(2023)「再攷──ケモノコンベンションの機能」『Philosofur』[#4]Philosofur編集部

で、(ある程度ではありますが)執筆することができました。だから、今回の発表内容についてだけは、自分に自分で及第点をあげたいなと思います。

……とは言ったものの、「ケモノ学会」の枠組みの中でこの内容を扱うのはやはり無茶が過ぎましたので、次に登壇するときにはライトな話題を考えたいと思います。

謝辞

大会2日目(参加者によっては3日目)の朝9時30分という早い時間に催される企画で、かつ別の企画も走っている中で、今回の「ケモノ学会」にご参席いただいたみなさんに心より感謝いたします。

筆者(豅)にとって2回目の参加となった今回、参加登録の段階でさっそくKemoconスタッフさんの厄介になっており(下図。ご丁寧に添え状もあった……)、「こんな難しい筆名にしたのは誰だ」とブーメランを投げた次第でした。

こうして2回連続で登壇することをお許しいただけたことも僥倖でした。「ケモノ学会」で共有された知見が、みなさんの興味・関心のエネルギーの触媒となることを願っております。

最後に、このような場を創出してくださいましたKemocon Projectのみなさん、時之栖のみなさんに、改めて深甚なる御礼を申し上げます。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?