見出し画像

SS 戻った男 【#紫陽花を】シロクマ文芸部参加作品 (910文字位)

 紫陽花あじさいを手に取りハサミで切り取る。毒はあるが煮詰めれば薬として使えた。

 られた蚊帳かやの中で畳の上にあおむけに女が横たわっている。青白い顔で生気がもう無い。

「ケホケホ……」
「姉さん、お薬よ」
「もういいわ……早く死にたい」
「いつも、そればかりね」
「だって苦しいんだもの」
「あの人が帰ってくるわ」
「戻らないわ」

 姉の許嫁いいなずけは、仕官のために武者修行で旅している。剣客として認められれば俸禄ぼうろくをもらい家を持てた。姉と私は戻らないと確信していたが……

 雨が降り続き、紫陽花あじさいは赤く青く紫に色を変えながら庭に咲いている。いつものように花を摘んでいると、編み笠の男が近づく。

「戻った」
「……おかえりなさい」

 すっと体をよせると抱きしめられる。太い腕はやさしくあたたかく幸せを感じさせる。

「どうしたの?」
仕官しかんできた、お前を連れて行く」
「姉は?」
「体が弱い、子は産めぬ」

 男は姉を見捨てるつもりだ、それは自然のことわりかもしれない。子が欲しい男は、若い娘を好む。

「置いてけぼりにするの?」
「俺が始末する」
「……そうね、姉に会ってからにして」
「そうだな、そうだ、そうしよう……」

 姉は私よりも美しい。男は姉をあんなに愛していたのに、そのために仕官の旅に出たのに……

 蚊帳かやの中で横たわる姉の前に男は座る。

「元気にしていたか?」
「……」
仕官しかんできたので、旅にでよう」
「……」
「どうした?」

 蚊帳かやをまくると姉は眼を見開いたまま、こときれている。

「おい、死んでいるぞ」
「具合が悪かったから……」
「……そうか、墓を作らないと」

 白湯を出すと黙って男は飲んだ。紫陽花あじさいを透明になるまで煮詰めた薬は、もう毒だ。

 男はぐるりとふりむくと刀に手をやる。だがすぐに心臓が早鐘のように強く体を打つ……そして止まる。手足がしびれて動かせなかった。

「本当はね……姉のための毒だったの」

 庭に出て紫陽花あじさいを見つめる。色鮮やかなのに、どこか悲しげで暗く感じる。

(さて、自分が飲む分も作らないと……)

 ゆっくりと台所へ足を運んだ。

#紫陽花を
#怪談
#小説
#シロクマ文芸部
#ショートショート

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?