SS 忘却【#忘れっぽい詩の神】#青ブラ文学部参加作品(950文字くらい)
「この川の水を飲んで」
「水を飲むとどうなるの?」
「すべてを忘れる」
幼い少女が指さす先は、暗い大河だ。中年の女性は手ですくって口に含む。
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「次の詩人を」
「はい」
奴隷が美しい青年を連れてくる。布をまいたトガは薄汚れていて下層階級の人間だろう。彼は落ち着いた様子で詩を即興でうたう。
『あなたの目に映る星は輝き
夜空に咲く花は無垢な光を放つ
遠く離れても心は寄り添い
愛は永遠に時を越えて抱きしめる』
「まぁ悪くはないけど……、彼でいいわ」
「わかりました」
大理石の巨大な柱がある神殿に一人の巫女が住んでいた。彼女は残虐な性格で詩が気に入らないと詩人を拷問で痛めつけていた、でも良かった場合は夜を共にする。そして飽きるまで歌わせるが、どんな詩人でも続かない。最後に詩人が泣きつく。
「詩の神が知惠を授けてくれません」
アイデアが底をつく、マンネリで同じ事しか言えない、そんな時は恐ろし拷問がまっている。鉄の牛だ。空洞の鉄牛の中に詩人を入れて外から火であぶる。逃げ場がない牛の中で悲鳴があがると、牛がうなるように吠える。それを見てゲラゲラと笑いながら酒を飲んだ。
だが今回の詩人は違っていた、無限の才能で新しい詩を作り続けた。
「あなたはとても素晴らしいわ、私と一生ここに住んで」
「私には許嫁がいますので、そろそろ帰ります」
「帰れると思って?」
彼を鉄の牛を見せて拷問の内容を教えるが、彼は何も言わない。そして詩も歌わない。
「ならあんたの許嫁を、この牛の中に入れてやる!」
「あなたは、かわいそうな人です」
巫女は、詩人と許嫁を入れて外から火であぶると、牛はやさしく詩をかなでる。
『レーテーの川辺で、記憶は消え
愛のささやきも、遠い夢となる
忘却の中で、私たちは消えゆく
しかし心の奥で、愛は永遠に』
牛の中で詩人と許嫁はくちづけをしたまま焼け死んでいた。そして巫女は狂い自殺する。詩人が作った物語で癒されていた事を忘れていた……
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「なに、この味!」
どす黒く濁った味は生前の悪行のすべてを記憶に固定した。
「ごめんなさい、ここはアレテイア(真実)の川だったわ。レーテー(忘却)ならば、生まれ変わって幸せになれたのに」
忘却はやさしさ、真実は苦い。巫女は地獄の底で自分の悪行を自分の身でつぐなわされた。
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