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道草の家のWSマガジン - 2023年12月号


12月 - のりまき放送

降車する停留所を間違えたくなかったので、電光掲示板が見える前方の席に座った。緩やかにバスが振動し、動き出す。町中を抜けて山側へと進んでいく。ちらりと前に座るおじさんを見ると、スマホでアダルトサイトを見ていた。画面が目に入ってきて、自分のほうが恥ずかしくなった。思わず窓の外へ視線を逸らす。降車ボタンが鳴る音。この人は絶対に滝行に行くだろうな、と思っていた人はいつの間にかバスを降りてしまった。しばらくバスに揺られる。停留所から数分ほど歩き、お寺に到着。滝行体験に来たことを雲水さんに伝える。そのまま本堂に通された。申込書の記入やお布施の準備をしていると、他の参加者が本堂に入ってきた。男性と女性。二人とも自分より年上に見える。参加者が揃ったところで更衣室に案内された。着替えをし、本堂へ戻る。雲水さんから作法の説明。合掌の仕方。意味。腹式呼吸。読経。体験ではあるが、ぴりっとしたものを感じる。
お百度参りのため、一旦外に出た。湿ったコンクリート。素足で歩く。足の裏がひりひりする。「南無大師······」と唱え、一心不乱に修行場を往復する。車が通る音が聞こえ、沿道のほうを見上げる。何だかとても遠くに感じる。吐く息が白い。結構動いたと思っていたが、それほど身体は温まらなかった。すぐに滝場へ移動した。滝に入る順番は一番初めに本堂に入った自分からとなった。滝に入る手順を忘れないように頭の中で反芻する。山に向かってお経を唱え、それから、滝に向かい合う。雲水さんに手を引かれて滝に入る。外から見た際には水量はそれほどでもないように見えた。しかし、滝の中に入った瞬間、息が止まる。「お経を唱え続けてください」と声が聞こえる。声が出ない。身体が逃げたがる。声を絞り出さないと耐えられない。口から悲鳴のような声。逃げたくない。自分は弱い。いつも尻込みしてしまう。落ちてくる水が身体を打つ。「しゃがんでください」と声が聞こえる。膝が言うことをきかない。どのぐらい経ったのだろう? 「しゃがんでください」と、もう一度声が聞こえた。少しずつ片膝を曲げる。
着替えを済まし、本堂に戻った。雲水さんに挨拶をして滝行の体験は終了。玄関から出ると、日は落ちて真っ暗だった。取り出したスマホの画面が眩しい。メールや電話の着信はなかった。なぜかほっとした。停留所の椅子に座ってバスを待つ。何だか身体がふわっとする。そういえば、滝行には厄払いの意味もあるらしい。ここ最近の悪い流れが払えたのならば有り難い。


犬飼愛生の「そんなことありますか?」⑬

そこのけそこのけ、あたしが通る。ドジとハプニングの神に愛された詩人のそんな日常。

「豆腐とひじきとちくわ」
 この連載をお読みくださっている方から、私があまりにもドジとハプニングにあうのでこれがエスカレートすると私にとんでもないことが起きるのではないかと時折心配される。先日、文芸ユニット「るるるるん」のUNIさんと観光船に乗る機会があったのだが、乗船中に私が「今月はまだハプニングに遭ってないんですよね~」となにげなくつぶやくとUNIさんがさっと表情を硬くしたのがわかった。警戒されている。私の期待とはうらはらにその時はなにもハプニングは起きずちょっと残念だった。移動して歩いているときになぜかフロントガラスの電光掲示板に「SOS」と表示しながらゆっくりと走るタクシーを見た。よもや強盗にあっているのか!? と観察したところ運転手に特に異常は見られなかったので表示間違いだろう、とそのままにしたが、今思えばタクシーの前に飛び出してことの真相を確かめればよかった。絶好のネタのチャンスだったのに。と、今月はハプニングの神がかすっただけだった。いや、そのほかにも詩の仕事で出張するのにうっかりホテルを手配するのが遅くなり、ペット同伴可能のちょっと犬くさい部屋に泊まった話とか、インフルエンザに罹患して、楽しみにしていた春風亭一之輔の落語会と忘年会のカニを食べ損ねた話とか、小さなハプニングはある。神様も師走は忙しくて、私になど構っていられないのかもしれない。
 ところで、私は料理をするのは好きではないのにたぶん私の作る料理はわりとおいしい。自慢ではない。ではなぜおいしく作れるのか。それは私の作る料理はすべて「レシピ通りに作っているから」である。実は私にはオリジナル料理というものがまるでなく、すべて料理本やレシピサイトを見て作っている。この「レシピ通りに作る」ために私は1週間の献立を完璧に決めている。よって、そのための材料もすべてあらかじめ買っておく。買い物は1週間に1回しかいかないため、それらをすべてノートに書いて買い物に行く。家族の予定なども鑑みて、「何曜日のメインは○○で、副菜は○○」とそこまで細かく決めてある。レシピ通りにしか作れないため、その献立はどのレシピ本の何ページに載っているのかも書き添える。この話を他人にするといつも驚きとともに若干引かれる。そうですか? みんなじゃあどうやって調理をしているのだ。家庭の味? そんなものはない。息子にとっておふくろの味があるとすればそれはきっと「料理家・山本ゆり」の味だ。私は彼女のレシピ本のほとんどを持っていて、ほぼ毎日の料理をそこから作っているのだから。そして、今日も料理をしようとしてその献立予定ノートを開いて、びっくりした。そこには献立名「ひじき」、使う材料の欄に「豆腐・ひじき・ちくわ」と書いてある。実際に冷蔵庫に材料もある。しかし、しかしだ。この献立のレシピがどのレシピ本の何ページに書いてあるか。ここが抜けていた。自宅の山本ゆりのレシピ本を片っ端から探したがみつからない。レシピサイトの検索履歴にもない。全然思い出せない。なんでひじきに豆腐がいるのか。なんなんだ、この料理。適当に調理しようと思えばできるが、それで微妙な味······となるのが許せない。ちくわは最悪そのまま食べたり、焼いたりすればいい。けれど、この豆腐がやはり気になる。

(いぬのおまわりさん調で歌ってください)迷子の迷子のお豆腐よ、あなたのレシピはなんですか? 名前を聞いても豆腐だし、おウチを聞いても豆腐だし。きぬきぬもめーん! きぬきぬもめーん。大豆とにがりが原材料。もういいやーわからない。困ってしまってちくわだけ食べる―。ちくわだけ食べる―。

というわけで今夜の我が家の晩御飯はちくわでした。今月のドジとハプニングの神がこんな調子だったから、来月はドジとハプニングが2倍増しになるかもしれません。めちゃくちゃ怖いけどちょっと楽しみです。



ゆらゆらの記憶 - 橘ぱぷか

「もうこの年になると、はじめましての人と出会うのは怖いの」

 大学生の時、バイト先の社員さんがふと漏らした言葉を時折思い出す。私の母と祖母の間くらいの年齢の女の人だった。
当時はその意味がよくわからず、でもなぜだか喉の奥にひっかかり、私の中にぼたりと残った。
 あれから歳を重ね、今ではその気持ちがなんとなくわかるようになった気がする。

 はじめまして、怖いよね。相手がどんな人なのかわからず、少しずつ探りながらお互いを知っていく過程。それは楽しくもあり苦しくもある。
 出会ってからお互いを知る、までのスピードが早くて、比較的軽やかにその次のステップに辿り着けていた学生時代。まだ定まらない価値観や考え方がわたしたちひとりひとりをぼんやりと膜のように包んで、潤滑油のように機能していたように思う。
 けれどももうすっかり大人になってしまったから私はわかっている。本当に分かり合える人や、心を許せる人はそんなに多くないということ。同じ言語を使っていてもうまく伝えられない、思うように伝わらないことの方が多いということ。わかることよりわからないことの方が多いこと。
 そういう苦さを重ねて重ねてふとこぼれたのが、もうはじめましての人との出会いはこわい、っていうつぶやきだったのかも。

 それでも時折、あ、伝わったという時が訪れる。それは言葉であるときもあるし、交わした視線であることもある。触れた手のひらから感じられるときもある。その宝物みたいな瞬間の尊さ。
 きっとこれからもそんな希望をこっそり握り締めて、はじめましてを繰り返していくのだと思う。恐る恐る、めげずに、閉じずに。


挿絵・矢口文「Bone」(キャンバス、アクリル絵具、コンテ)2023


麻績日記「気楽なholiday」 - なつめ

 移住お試し生活の最終日。朝、また村役場の松本さんがお試し住宅まで迎えに来てくれた。私たちは車で村役場に向かった。
「本当にいいことろですね! 地域おこし協力隊の伝統工芸も素敵でした。もともと伝統工芸や日本文化が好きなので、実際に体験できて本当に感動しました。協力隊のお仕事もいいですね~」
と、私が言うと、
「なつめさん、協力隊の活動に興味を持っていただきありがとうございます。大変うれしいのですが、実は今、村で小学校の支援員のお仕事も一人募集しているんです。それで村の教育委員会の次長がなつめさんが帰られる前にぜひ一度ご挨拶したいとのことで······これからお会いしていただけませんか?」
と、村の小学校の支援員のお仕事の話を一度聞いてほしいという流れになった。私は今まで日本語の先生として、東京の小学校で外国籍の子どもたちの日本語の指導を仕事としてきたが、少し学校という職場を離れ、他の仕事もしてみたいという思いも心の中にはあった。それに今日私が着ているこのTシャツで教育委員会の次長にお会いして大丈夫なのだろうかということも気になった。Tシャツの前面に"holiday"と書いてある。
「教育委員会の次長さんですか? こんなTシャツでお会いして大丈夫なのですか?」
と、少し困りながら返答した。
「大丈夫です! 次長も村のTシャツを来ています。あはははは! 本当に気楽に会っていただく感じで大丈夫ですので、ぜひ!」
今日私が着ているTシャツのことなど、全然気にしていない様子で松本さんは言った。そんなに気楽な感じでもよいのなら······と思い、
「わかりました。一度お話を聞いてみます」
と、東京に帰る前に次長にお会いしてみることにした。村役場のすぐとなりの建物に村の教育委員会があるという。

 村役場に着き、私たちは車を降りた。
「本当にこんなTシャツ姿で大丈夫でしょうか」
と、私はやっぱりTシャツのことが気になっていた。今日着ているTシャツは教育委員会の次長に会うような恰好ではないだろう、と思っていた。それと同時に、支援員の仕事以上にやはり麻績村の伝統工芸に興味があったのだった。
「全然大丈夫ですよ」
と、松本さんは笑顔でそう言いながら、建物の中に入ってすぐの会議室に案内された。
「今、次長を呼んできますね!」
と、早速次長を呼びに行った。以前、私が東京で区の教育長を遠目で拝見したとき、襟付きのシャツに、かしこまったスーツを着ていたことを思い出していた。教育委員会の次長という肩書きから堅いイメージを勝手に想像した私は、少し緊張し始めていた。すると、「コンコン」とドアを叩く音がし、扉が開いた。

「どうもどうもー! こんにちはー!」
と、私がイメージしていたお堅い次長という肩書きを一瞬で吹き飛ばし、まるでお笑い芸人が入って来たかのように、Tシャツ姿の男性が現れた。
「どうも~! 次長の浅井です~」
と、名刺を渡され挨拶をした。村のゆるキャラである「おみぽん」というたぬきの絵が胸元に入っているTシャツ姿の次長。この方が村の教育委員会の次長さんなのかということに、私は静かに驚いていた。こんなにもお笑い芸人のような雰囲気の次長がこの村にいるということに、静かにワクワクし始めていた。なんて気さくな教育委員会の方なのだろうと、私の教育委員会への偏ったイメージが崩れていった。そんな私を気にすることなく、次長の浅井さんは早速どんどん話を始めた。
「なつめさん、よくこちらに来てくださいましたねぇ~! ここ······本当に何もないでしょう~? うはははは~っ!」
と、気さくに笑いながら、浅井さんもこの村のことを「何もない」とまず最初に言い始めた。村のほとんどの方がやはりここには「何もない」と思ってここに住んでいるのだろうか。私にとっては全然「何もない」ところでは決してなく、私が長年求めていたものがここにあったというのに。それから、村のことと小学校の支援員の仕事のことを、浅井さんは15分ぐらい話していた。私はその話に驚くばかりで、その時すぐには対応できなかったが、その話を「ふむふむ」と一通り聞き、いったん持ち帰ることにした。

「ぜひ、支援員のお仕事もご検討くださいね! またいつでもお待ちしておりますので!」
と、浅井さんに力強く言われ、とりあえず私たちは、帰りの電車に乗るために、その場を去り、駅に向かった。歩いて10分ぐらいの駅だというのに、松本さんがまた私たちを車で送ってくれた。
「本当に、何から何までありがとうございました!」
と私が言うと、
「何もないところですが、ぜひまたいつでも遊びに来てくださいね!」
と、最後の最後まで、松本さんはまた「何もない」と言っている。この村は決して「何もない」ところではないのになと、その言葉を聞くたびに私は違和感を感じていた。その言葉を否定したくなり、帰り際に私は言った。
「この村は、何もないところではないですよ! 村の人々は親切で、とても静かでいいところじゃないですか」
と、言ったのだが、松本さんは苦笑いしながら
「そうですかぁ~?! ありがとうございます。また、いつでもお待ちしておりますので」
と、どうもピンときていない様子であった。私が東京で求めていたものがこの村には確かにあった。それは、そう簡単に見つけられるものではないと思った。長年東京に住んでいた私が、ずっと求めていたものが「ここにはある」、そう確信し、東京へ帰った。


今日も空は綺麗だった - RT

最近不安が強くてトコジラミノイローゼになってしまっていた。鍼灸院で、体にあんまり関係ないんですけどトコジラミが怖くて······と言ったら掃除しまくったりしてるん? と聞かれて、いや特に掃除しまくってないですけど嫌な気持ちになっていて。掃除が得意だったらこんなに怖がらなくてもいいのだ。不得意だから困っているのであって。
まあなんとか背中に鍼をうってもらって、ちょっと軽い気分になって古墳へ散歩に行った。帰ってぶいぶい掃除するぞと思っていたのにモーニングを食べてスーパーで買い物したら一仕事終えた気持ちになっていた。帰ったらちょっと休憩しよう。休憩しているうちに体調が悪くなってきて、わたしこの頃休みになると体調悪くなるんだけどどうなってるんやろ。病気ちゃうか。また気分が落ち込んできた。
このままではいつも以上にダメな日の日記になってしまう。こういうことを書きたいのではなくて、スタンディングの話である。
Twitterを開いたら小田香監督が梅田で今パレスチナで起こっていることをもっとみんなに知ってもらうためにスタンディングを行うと流れてきた。16時30分から18時30分まで。
16時から美容院を予約していて、たぶんそこから梅田に行っても時間がほとんど残ってない。でも。もし美容院が無かったら行くだろうか。この世の中の無関心のエネルギーときたらすごくて、以前デモに参加したときびっくりした。だからたった2人で街に立つということがどんなに勇気がいることかと思った。
美容院でテレビを見ていたらニュースでガザで拘束されている人たちはテロリストで、これから取り調べをするようなことを言ってたから自爆しないように服を脱がせているのは仕方がないのかなと一瞬納得しかけた。
でもTwitterで見たらほんとはテロリストじゃなくてガザの一般の人らしかった。裸でトラックに乗せられている写真を見て、ナチスがやったことと何が違うのだと思った。しかもすぐに殺害されたという。テレビと言ってることが違う。どちらを信じたらいいのだろう。
目の前の人に感情移入しないことって心を殺したら出来るのだろうか。わたしは自分がトラックの中から外を見ているのを想像してしまう。殺される瞬間の気持ちを想像して怖くなってしまう。自分が痛いことは誰かも痛いのだと思ってしまう。特別優しいわけではなく目の前にいなかったらそうは思わないかもしれない。
だから出来るだけ見ないようにしているのだけど見なかったら無かったことにはならない。
スタンディングに短時間でも行こうと思ったけど美容院から出たらくたびれてしまっていて今から向かうのは無理だと思った。
代わりにこの文章を書いている。行けなかったスタンディングのかわりに、
言葉になんの意味があるだろう。いつも思っている。わたしが小声で呟いたところでなにもならないだろう。もっと神様がなにかを与えてくれたらよかった、もっと大きな力を与えてくれたらよかったのに。そしたらわたしはどうしただろう。自分と意見の違う人を圧倒的にねじ伏せる力を持っていたとしたら。
怖くなって、わたしはこのままでいいのかもしれないと思った。
いつも小さな声しか持たないから、声をあげられない人の気持ちをわかりたいと思う。声をあげられなかったり、思っていることと違うことを言ってしまって後悔したり、今だってきっと沈黙しているように見えるけどみんなそれぞれの思いがあって、ひとつの色にはなりえないから。
だから。自分と違うことを間違ってると言うのはやめよう。小さな子どもの声を聞こう。いまなんて言ってるだろう。子ども達がお布団と荷物を持って逃げなくてはいけないなんて。黙ったまま死ななくてはいけないなんて。いくら正しいことをしていると主張したってそれはほんとうに正しいことなのですか?



高滝湖(前篇) - 下窪俊哉

この世界はどんなふうに私に見え、思えているかを提示することに、意味があるのではないかと思えてきた。私には世界はこう見えている。でも、もちろん他の人は違う。違うということを言っていきたい。

(青木野枝『流れのなかにひかりのかたまり』より)

 朝、家の最寄り駅から電車に乗り、巨大な駅で乗り換え、少し遠くまでゆく。2時間半を経て、ある駅に降りた。もう昼前である。そこからは急に、時代を遡ったような懐かしい電車に乗って、さらに40分ほどゆく。その路線は2時間に1本くらいしか走っておらず、50分ほど待ち時間がある。線路脇に見つけた「休憩室」で休むことにした。「休憩室」は情報基地のようになっており、ちょっとしたカフェにもなっている。注文はしても、しなくてもいいそうだが、そこは旅のワン・シーンである。せっかく来たのだし、これから先、食事を提供してくれる場所はまたあるかもしれないし、ないかもしれない。ここで軽く食べておこう、となった。「安全第一」と名づけられたカレーとホットコーヒーを注文する。カレーにはきのこが入っていて、程よくスパイスがきいている。コーヒーはすっきりと澄んでいて、仄かな甘さがあった。
 その後、オレンジ色の車体に乗り込み、揺られる。停まる駅は、一部を除いて無人駅である。単線だが、駅ですれ違う電車もない。
 車掌が切符を出し、確認して、受け取る。アナウンスもしなければならないので、とても忙しそうだ。こちらが旅の身で、ボンヤリしているので彼の姿が対照的に映る。車窓からキラキラとした白い光が見えていた。草の上で踊っている。降りた駅は、都会から来ると、玩具のような駅である。一緒に2、3人降りたようだったが、ホームで電車を見送って、振り向くと、もう誰もいない。駅前にはトイレと朝市の形跡があり、ガランとしていた。
 ぐるっと回って踏切を渡るときに、線路の上で立ち止まり、電車の来た方を望み、そこに落ちていた自分の影とともに写真を撮った。切り通しの道を抜ける。歩いてゆくと、土の壁に花束のような光がもたれ掛かっていた。
 ダム湖に着く。歩いている人も、走ってくる車も、ない。風もなく、空には雲ひとつない。湖上には釣り人たちが、一列になって見えた。橋を渡って対岸の美術館を目指す。橋の上に半円を描いた電灯の上では、鳩たちが固まって休んでいた。

 入館料を払ってなかへ入ると、白い大きな胞子をつけた植物のような彫刻が出迎えてくれる。横の部屋から着物姿の女性が出てきて、その植物と彼女のツーショットを撮ってほしいと言われた。リクエストに応えて板状のカメラをかざすと、彼らの頭上に丸く切り取られた青空が見える。
 再びひとりになって、自動ドアを入る。右奥に、展示会場の入り口が見えた。挨拶文を読む。短くて控えめな文章であり、あっという間に読み終わるが、「体感し、ご堪能ください。」のことばが心に残った。
 そこにはいま、自分ひとりだけでいる。会場には他の客も、学芸員も監視員もいない。
 ふと見ると、その空間の先に、鉄の輪を組み合わせてつくられたキューブが、ふたつ、置かれている。ただ、置かれている。探しても、解説文などはない。近づいていくと、その向こうに、今回の主役である「光の柱」が見えてきた。3本の柱である。キューブに使われたよりもずっと小さな鉄の輪が、連なり、吹き抜けになった地下から昇ってきている。
 鉄による彫刻を、なぜ「光」と感じられるのだろうか。
 タイトルが「光の柱」だから、私は「光」を意識してしまうが、それよりもまず、それは「柱」である。
 柱を見ている。その柱からは、動きを見る。静止しているようには、なぜか感じられない。
 ひとつひとつのリングには、よく見ると、鉄板から切り抜かれた跡が生々しく残っている。そのひとつひとつを、彼女自ら溶断しているのだと私は知っている。その作業に費やされた、たくさんの時間が、無数のリングには流れていた。
 そこで時の流れが、一気に遅くなる。それまでの速さだと、感じられないのである。
 小脇の部屋には、似たような大きさの鉄のリングが、波打ちながら天井へむけて駆け上っている、「光の柱」のヴァリエーションである。その小部屋には大きな窓があるので、湖からの光に溢れていて、鉄の彫刻は光の影のように感じられた。
 その小部屋から、吹き抜けの空間を見ると、「光の柱」のうち1本が、人工の明かりによって燃えているように見えた。
 そこを出て、もうひとつの小部屋に入ると、そこに置かれた「光の柱」はまた全然違う様相だ。鉄板は細い線状に切られ、組み合わせて「柱」のなかをスッキリ見せている。リングには色のついたガラスがはめられ、その柱のなかで揺れている(ように見える)。
 光はガラスによって微かに遮られ、霞む。それも「光の柱」の小さな断片である。


離婚日記を書くために 02 - UNI

 犬飼さんが大阪に来る。お誘いいただいて、人生初の屋形船に乗ることになった。
 JR大正駅で降りると、若者が一方向へと歩いていく。何もなさそうなこの駅からはドームが見える。少し早めに着いたので、駅すぐのガード下の沖縄料理屋に入り、タコライスならぬタコヌードルを食べた。ここはヘチマのチャンプルーも出している本格的なお店だ。沖縄料理が好きなMO(Moto-Otto)にLINEを送る。年末年始に関西に来るMOと大阪に行くことがあればここに来よう、と、年末年始の店舗スケジュールも確認しておいた。
 犬飼さんは船着き場のカフェにいた。そこにいることを知っているから、というのもあるけれど、なぜか店外から見える後ろ姿で、犬飼さんだとわかった。オンラインでは数年前から犬飼さんの上半身だけを見てきた。席を立つ犬飼さんはわたしより背が高く、”これこれ、この感じ、オンラインでしか知らなかった人の実物大寸法!”と内心はしゃぐ。
 屋形船はひらべったく、座席に着くと水面は目の高さだ。
 犬飼さんが「今月はまだハプニングが起きてないんですよねぇ」というようなことを言うので、胸がバチンと鳴る。やばい。隣にハプニングの神を呼ぶ人がいるのだ。これから彼女と川に浮かぶが、大丈夫なのだろうか。
「救命胴衣は客室後方にございます」
 添乗スタッフがひとり、どうやら新人のようでなんとなくぎこちないのも気になる。救命胴衣は座席の下に無し、と確認。隣はハプニングの······
 南無三と一度目を閉じた。
 こうやって「離婚日記を書くために」を 書いている、ということは、ハプニングの神もそこまで非情ではなかったということ。
 落語家による完璧なガイドでのツアーを終え、船着き場で犬飼さんはご贔屓の落語家とも出会え、嬉々として会話を交わしている。この人に会いたい、この人の芸を追いかけたいという人がいることを羨ましく思い、すぐ隣の二人がとても遠くに感じる。阪急庄内駅の書店、犬と街灯へ向かうべく電車に乗り込んですぐに犬飼さんが「あっ、雀太さんや」と船着き場の落語家を見つける。視力もいいし、動体視力もいいのが可笑しくてたまらない。
 大阪駅で阪急へ乗り換え、庄内駅まではすぐだった。商店街と住宅街のはざまにあった。『るるるるん』は長くお世話になっている。それを考えると、引き戸を開けてすぐに「お世話になっております!」とご挨拶すべきだったところ、緊張してしまってしばらく黙って古井フラさんの絵を眺めていた。その間、左半身には店主クリタさんの存在をびしびしと感じる。今考えれば入店してすぐにご挨拶すべきだっただろう。わたしの今まではこういうことの繰り返しだ。
 犬と街灯の棚にひしめくZINEやリトルプレスを眺めていると、胸が熱くなった。ここにたどり着くまでに犬飼さんと交わした創作にまつわるおしゃべりと相まって、涙がうっすらと滲んできた。
 離婚を決め、手続きを進め、部屋を決め、日用品をそろえ、今後のことを考えて新しく勉強も始め、わたしは創作に触れる時間をほとんど取れていない。ほとんどというか、全く。それは逃げに近いかもしれない。感受したくない。受け取ると、感情が大きく動かされてしまう。動かしたくない。それでも動かされてしまった。
 犬飼さんからたくさんの言葉を受け取って家に帰ると、本格的に涙が流れた。
 MOと生きると決め、彼の仕事にあわせて引越しを続けてきたわたしがやっと自分でつかまえかけたものが創作することだ。それなのにまた創作することに時間を捻出できず、意欲も湧かない。でも犬飼さんは日々を生きて詩を綴り、犬と街灯にはあらゆる人が日々を生きながら熱を込めて作ったものが並んでいる。その熱がわたしの感情をどすっ、どすっと揺さぶる。
 そういえばハプニングの神は愛知県の神なのか、大阪では犬飼さんをちょんちょんとつつくだけだったのかもしれない。というのは、犬と街灯を出て駅前に戻るとわたしたちの前を「SOS」と点けたタクシーがゆっくりと通り過ぎたのだ。やっぱり視力と動体視力の良い犬飼さんが「あのタクシー、SOSって」と発見したのである。動転したわたしはマスクをつけていることも忘れ、なぜか声を出さずに「ダイジョウブ?」と口を動かし、タクシー運転手はわたしたちをちらりと一瞥して去ってしまった。さすが、犬飼さんといるとハプニングが起こる。それが川の上でなかったことに、神様の、犬飼さんへの屈折した愛情を感じた。


表紙画・矢口文「わたしのすがた」(キャンバス、アクリル絵具、コンテ)2023


巻末の独り言 - 晴海三太郎

● 年の瀬です。今月もWSマガジンをお届けします。スタートしてから、丸1年がたちました。● 今月は初参加がふたり。ようこそ! その分、なのか、欠席の多い月となっていますが、遅刻の方がいらっしゃるかもしれないので、よかったら何日かしてから、また見に来てください。来年も無理なく続けられたら、と思っています。● このWSマガジンの参加方法は簡単で、まずは読むこと、次に書くこと(書いたら編集人宛にメールか何かで送ってください)、さらに話すというのも毎月やってきましたが、今後の「話す」は不定期開催になりそうです。全てに参加しなくても、どれかひとつでもOK、日常の場に身を置いたまま参加できるワークショップです。● 書くのも、読むのも、いつでもご自由に。現在のところ毎月9日が原稿の〆切、10日(共に日本時間)リリースを予定しています。お問い合わせやご感想などはアフリカキカクまで。● では、もう次は来年です。よいお年を!


道草の家のWSマガジン vol.13(2023年12月号)
2023年12月10日発行

表紙画と挿絵 - 矢口文

ことば - RT/犬飼愛生/UNI/下窪俊哉/橘ぱぷか/なつめ/のりまき放送/晴海三太郎

工房 - 道草の家のワークショップ
寄合 - アフリカの夜/WSマガジンの会
読書 - 勝手によむ会
放送 - UNIの新・地獄ラジオ
案内 - 道草指南処
手網 - 珈琲焙煎舎
喫茶 - うすらい
準備 - 底なし沼委員会
進行 - ダラダラ社
雑用 - 貧乏暇ダラケ倶楽部
心配 - 鳥越苦労グループ
謎々 - いの上にあるものは、なーに?
音楽 - 12月の雨の日
出前 - 闇鍋研究所
配達 - 北風運送
休憩 - マルとタスとロナの部屋
会計 - 千秋楽
差入 - 粋に泡盛を飲む会

企画 & 編集 - 下窪俊哉
制作 - 晴海三太郎

提供 - アフリカキカク/道草の家・ことのは山房


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