R. W.

儒者の困惑

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さすらいをやめたヴェンダースの完璧な日々 『PERFECT DAYS』

ヴィム・ヴェンダースの映画とは、髭を養生蓄えたおじさんが車に乗りながら音楽をかけ、人と人の間を、土地と土地の間をさすらっていく映画だった。西ドイツやアメリカをふらふらとした末に、小津映画の風景を求めて東京をさすらった『東京画』からは40年ばかりの月日が経っている。 再び東京に帰って来たヴェンダースは役所広司を隅田川のほとりで車に乗せる。かかってきた曲はアニマルズの『朝日のあたる家/House of the Rising Sun』。この時、紛れもなく私たちのヴェンダースが帰って

    • 『異人たち』 孤独な惑星の接近

      日記をめくると大林宣彦が監督した『異人たちとの夏』を見たのがちょうど4年前だった。 幼いころに死んだ親との再会を通して前へと向き直っていく話。映画終盤の浅草・今半別館のすき焼きのシーンが忘れがたく、そしてそのあとの驚愕の展開にえも言えぬ感情を抱いた。『異人たちとの夏』は幽霊譚に違いなかったが、人がいるのに人気のない感じというのは夢のようでもあり、想い出のようでもある。人々はそこにあるのに息をしていない。大林宣彦のノスタルジックは影法師がつくりだしている。2020年4月もそのよ

      • 『瞳をとじて』 まなざしの行方、奇跡と宇宙のコントロール

        編集技師のマックスが言うには、「ドライヤー以降、映画に奇跡は存在しない」と。どこかで聞いた言葉だなと思い、記憶を手繰り寄せると、同じようなことをジャン=リュック・ゴダールが言っていた。 『ゴダールの映画史 第七章 宇宙のコントロール』に「ヒッチコックとドライヤーだけが奇跡を映画にできた作家たちだ」というくだりがある。 画面に映るのはアルフレッド・ヒッチコックの『間違えられた男』の最終盤にして最も印象的なシーン。「奇跡」を映画にすることができるなんてすっかり忘れていた。 ビク

        • 歩みつつ垣間見た美しい時の数々 『彼方のうた』

          近頃になって、またスタンダードサイズ(4:3)の映画が力強く現れつつある。イエジー・スコリモフスキ監督の『EO イーオー』、ケリー・ライカート監督の『ファースト・カウ』、ヴィム・ヴェンダース監督の『PERFECT DAYS』。 毎度のことながら新作を楽しみに待つ杉田協士監督の長編映画も一貫してスタンダードサイズの画角を保っているが、世の中に横長の映画が氾濫する中で堅持されるこの四角さは、フレームの外に広がる絶え間ない世界のためにあるような気がしている。 私たちは見えなかったり

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        さすらいをやめたヴェンダースの完璧な日々 『PERFECT DAYS』

          目が合わないからいいんじゃない? 『イニシェリン島の精霊』

          パードレック(コリン・ファレル)はある日突然、親友だと思っていたコルム(ブレンダン・グリーソン)から絶交を宣言される。だが、パードレックは全く身に覚えがない。 The Ugly, The Ugly and The Ugly なぜコルムはパードレックに突然絶交を宣言したのか。まず私たちの意識はそちらに向く。 しかしその謎はコルムにとって特に隠された秘密というわけではない。彼は早々にその心持ちを喋ってくれる。 曰く、自分の人生を有意義に使いたいから、退屈な人間と使う時間はない

          目が合わないからいいんじゃない? 『イニシェリン島の精霊』

          死がそこに、たちずさんて 『ケイコ 目を澄ませて』

          寒風吹きすさぶ12月初旬の渋谷で、得体の知れぬほど怪奇的な笑顔を浮かべながら閉館迫りつつある東急百貨店の横を闊歩していたのは私である。ちょうど円山町のユーロスペースでは『ケイコ 目を澄ませて』が封切の初日を迎えていた。 なんのことはない、わずか100分の映画がマスクをしていたりといえども隠しがたい高揚を私の心に喚起せしめていた。それは間違いなく、恐るべき大胆不敵さによって決定づけられた最終盤の展開に驚愕し、そこに思いもよらぬ幸福を感じたからだったのだが、果たしてそれだけだった

          死がそこに、たちずさんて 『ケイコ 目を澄ませて』