ちょっとしたことで怒っちゃう、に、疲れてしまった朝

4歳の子がいる。
夫と、子と、私の3人で暮らしている。
家事も、育児も、当たり前に夫婦でおこなう。

でも、得意と苦手があるから、ゆる分担している。
夫は、自分に料理はできないと思い込んでいる。
あと、お金まわりは苦手だと思い込み、あまり学ばないので、実際にずっと苦手だ。
私は、料理も家計管理も、得意ではないが、夫ほど苦手じゃないのでやる。
結果、買い物や、ごはんをつくる、は私がやる。
私は、朝が苦手だ。
朝は、自分がスライム状な気がする。人としての機能が著しく衰えている。
結果、朝、子を園バスまで連れて行く、は、夫の仕事だ。
尚、朝ごはんは、あまりに私が機能しないので、
・目玉焼き+塩むすび
・卵かけご飯
のどちらかを夫が子に準備している。
人は、必要に迫られるとできることがある、と実感している。

が、夏休みに突入。状況が変わった。
・園バスの時間が、20分後ろにズレる
・夏休み中の給食を申し込み忘れた(夫が)
という事態。

お弁当は、徹底的に分業とパターン化。
・朝一番、塩むすびつくる【夫】
※冷ますために朝一番に作らなければならない。
・大きいフライパンに湯を沸かし、お弁当箱を熱湯消毒【夫】
・その日の主菜を準備する【私】
・朝ごはんを準備する(お弁当が塩むすびなので、ピザトーストにした)【私】
・朝食後、お弁当箱に全部詰める【夫】
※メニューは固定化。副菜は私が事前に準備。
 ・塩むすび
 ・日替わり主菜(からあげとか←冷食活用)
 ・冷凍枝豆
 ・冷凍茹で人参
 ・冷凍茹でブロッコリー
 ・冷凍ぶどう2粒

これで朝ごはん+お弁当まわりを片付ける。
そして、着替えや、園のお支度やらは、夫がおこない、
夫は、いつもの時間に出勤する。
私は、園バスまで連れて行く。
という分担だ。

本題。今日、怒っちゃいました。

お支度をしながら、今朝死んでしまったクワガタ(もともと瀕死の状態で玄関前にいた)のお墓を作ろう的な話を父子でしていた。
「埋めてあげよう」という話だ。

「朝、行く途中に、たーたんと埋めてあげなよ。」

の一言が、私に障りがあった模様。
自分でも驚くぐらいに、瞬間沸騰で苛立ちが沸き上がった。

なぜ、自分がやるわけでもないイレギュラーを簡単に組み込む?

朝が苦手な私は、苦手なりになんとかルーティンを作ることで平常心で淡々と過ごす段取りをしていたのだな、と、自己評価もできた。念入りな朝の分担は自己防衛だったんだ、と。
にも関わらず、「いつもとちがう期間」を生み出した本人が、そこにプラスオンしてきた。

いつもと違うことするなら、その日は送迎して。

と言ったときに、

ごめんね。じゃあ、明日からは毎日僕が朝の送迎するよ。

と返されたときも、また、苛立ちがつのった。
想像力なしに朝の動きを勝手に乱さないで欲しい、が要望なのに、
朝の送迎が負担である、への、雑な対症療法で解決しようとしたから。
↑朝遅く出勤すると帰りが遅くなり、夜の私のワンオペ時間が長くなるだけなのだ。

こんなに小さなことで、血が昇る自分にも驚いて、悲しい気持ちになったし、感情的にもなって疲れた朝だった。

と同時に、本当に、朝は、徹底的にルーティンにしよう、と強化を決意もした。
私は、朝に、弱いのだ。
夕方なら、笑って「いやいや、それならあなたが行ってきてよ」で終わった自信がある。
こんなにネチネチした感情にはならなかった。
なんだってわざわざ朝に、自分がやるわけでもないことを簡単に増やす?
という感じで、朝に、という条件が増幅装置だったのだ。

そんなこんなで、朝に弱すぎることの弊害を痛感した朝だった。

自分を磨く的なモーニングルーティンではなくて、
のんびりにこにこ過ごすためのモーニングルーティンを、セットしよう。
それさえできれば100点満点!と自分を褒めるため、
平常心のため、だから、
めちゃめちゃハードル低いルーティンをつくるんだ。

めちゃめちゃハードル低いルーティンで、余裕をつくれたら、
こういう瞬間沸騰的なこと、減らせるかしら。
最近、減っていたからこそ、怒ると疲れる、を実感してぐったりな朝だった。
なくしたいなぁ。

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