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『一本の線』野見山暁治、再読

洋画家・野見山暁治による私小説。1990年刊行。 

 アルバイトしていた古書店で、著名な作家さんから注文が入り、そのタイトルがずっと気になっていた一冊。
とうぜん、同姓同名の別人である可能性はあるけれど、その作家が紡ぐ流麗な言葉選びに通じるものがある。
なんとも清々しい気持ちになる本。

太平洋戦争を挟んだ画学生としての暮らし。幾人かの異性との思い出。炭鉱を経営する実家と、家族との記憶。胸を患い、実家で療養せざるをえなかった日々のことなど。

ほんとうにこの人は画家なのだろうか。作家以上に洗練された美しい文章の連なり。陶酔したように読み進めた。
早くも、ことし一番の出会いになる予感。

以前読んだ随筆の破たんしたような飛翔ぶりがたのしかった田中小実昌氏は、義弟にあたるらしい。言葉遣いの良い人がよくもこう集まる。
どんなに洒脱な会話が、生前繰り広げられていたかと想像しただけでたのしくなる。

筆者もまた、32歳から12年間をパリで過ごし、ジャン=ルイ・バローを観たそうだ。
遠藤周作氏とおなじように。
もしかしたら、おふたりには面識があったかもしれない...そんなロマンチックなことを考えた。

(2017.7.28)

<追記>

 久しぶりの再読をして、こんなに、戦地と戦時下の暮らしに章を割いていたことに驚く。極寒の満州で肺を患い、ベッドの上で死ぬか生きるかの頼りない日々を長く過ごした画家が、描く気力すら失った無為な時間を経て、ようよう立ち直っていった様を正直に言葉に置いてみせる。それが伝わる、びっくりするほど。

去年の6月、102歳で大往生を遂げられた野見山暁治さんの潔い生き様に最後まで圧倒されっぱなしだった。自らの作品はさっさと欲しい美術館へ寄贈してしまって、それでよしと満足していた姿が忘れられない。

 信頼できる一本の線を引きたい

(帯より)

画家の生き様こそが信頼できる一本の線だった。
人生に見習うべきところばかり。

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