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今日もゾンビの侵入を阻止する仕事が始まる

さぶらでございます。

日曜日から風邪を引いて寝込んでおりました。
風邪を引くのは3、4年ぶりなので、案の定重症化してしまいましたが、おかげさまで体調もだいぶ良くなってきました。

まだだるいっちゃだるいんですが、寝てばかりいると体中の筋肉がやせ細る一方なので、今日はリハビリの気持ちでnoteを書いてみようと思います。

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ちょっと前、ローマ教皇が日本に来たときにも「ゾンビ化」についていいことを言っていたようです。
ぼくはテレビをまったく見ないので、さっきネットで調べましたが、教皇の言うゾンビ化というのは、心の貧困を指すんだそうです。

これからぼくもゾンビについて書きますが、意味合い的には似てるのかもしれません。
少なくとも、まったく別ということはないハズです。

ぼくの言うゾンビというのは、こういうことを言ってきて黄泉の国に引きずり込もうとする厄介者を指します。

誰か 「学校を卒業したら、自分の夢にチャレンジしてみるぜ!」
ゾンビ「マジレスすると、お前の目指している業界はすでに人材が飽和してるからちょっと才能ある程度じゃ無理ゲー状態。長い間あの業界見てるけど、磨いて光ればいいって話じゃない。磨く前から光ってないとお話にならない。そんな無駄なことするくらいなら、さっさと就職して親に学費返せ。あまえんな」

ちなみにこのゾンビは、誰か君が目指している業界について、観測こそしているものの、自ら飛び込んで経験している、というわけではありません。
要するに、せいぜい評価しても「単なるオタク」の域を出ない存在でしかありません。

本当に不思議な話ですが、ぼくのいうゾンビという存在は、体験したことすらないくせに、自分が見た範囲が全てだと勝手に思い込み(ハロー効果)、やる前から諦めさせようと、頼んでもないのにやたら偉そうに(ダニング・クルーガー効果)「お前には無理。やるだけ無駄」と断定する(確証バイアス)など、必死に説得をしてくるような、バイアス(思い込み)に支配されまくってるタイプの人です。

その業界で痛い目を見たというのならいざしらず、体験すらしていない人に何がわかるというのでしょうか。
大した根拠もないくせに、どうしてそんなに自信満々に人の邪魔をしてくるのでしょう?

このように、ゾンビというのは非常に不可思議な存在ではありますが、残念なことに大量にうごめいていることもまた、現実です。
ちなみに、このようなゾンビになりやすい身近な存在に、親がいます。
こんな感じに。

誰か  「学校を卒業したら、声優の夢にチャレンジしてみるぜ!」
ゾンビ父「声優!?そんな得体の知れないモノで食っていけるとでも本気で思っているのか!第一、お前に務まるはずがない!安定した職業に就くのが一番なんだ!!」

子供の将来を憂う気持ちはわかります。
が、何も挑戦できないまま、他人の手で夢を諦めさせられるとどうなってしまうのか。
ぼくのような元うつ病の人や、メンタルがあまりよろしくない人にとっては、想像に難くないことでしょう。
(それに、今更安定した職業なんて存在しませんし、仮にあったとしても、それこそ務まるかどうかはやってみないとわからないはずです)

ゾンビはさまざまな理由から、夢への挑戦を諦めさせようとしてきます。
ゾンビ父のように、本人を心配した結果である場合もあれば、悪意を持っている場合もあります。
しかしぼくが思うゾンビが持つ共通点は、夢に向かって懸命に努力したことがない、またはできなかった、諦めざるを得なかった、という体験なのではないかと思います。

夢に向かって全力で努力した結果、叶えることはできなかった。
けど、その体験を肯定的に捉えることができれば、その後の人生の大きな力にすることもできます。
あるいはその時の努力の体験から、また別の夢を見つけるかも知れません。

「努力をすれば夢は叶う」というのは、流石にお花畑すぎると思いますが、「始めなければ始まらない」のは紛れもない事実。
心理学的にも、「やった後悔」に比べて「やらなかった後悔」の方が圧倒的に強く感じるようです。

自分の意思で諦めたのか、環境や状況で諦めざるを得なかったのか、理由はさまざまだと思います。
しかしそこから受ける影響に、理由は関係しません。
その影響が大きければ大きいほど、人はゾンビになってしまいやすいのではないかと思います。

で、結局何が言いたかったのかというと、ゾンビに惑わされるな!ということでした。

ーおしまいー

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