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女だから、年下だから、容姿でアピールしているからというだけで

2014年から自分の顔をネットに出しながら文章を書いてきた。

私が過去にミスコンに出ていたり、今モデルをやっているのは確か。

そういうことをしているのを「容姿で注目を集めようとしている」と言われても腹は立たない。

そうだ、私は自分の容姿を使って注目を浴びようとしてきた。

容姿で注目を浴びるために、意図的にミスコンに出たりモデルの仕事をしてきた。

でも、こんなことをしながらも同時に「人間は容姿だけではない」ということも痛いくらい感じていた。

例え注目を浴びていたとしても注目を浴びているのは所詮20代の若さゆえの美しさでしかなく。

今29歳の私は近い将来それを失うことははっきりしてきる。

だから私は容姿だけでなく、文章力によっても自分のキャラクターを確立しようとした。

だから私は毎日毎日ブログやSNS投稿を続けた。

だから作品も書き続けた。

「ただのきれいな人」でもなく「ただの文章が書ける人」でもない、歳を重ねるごとに美しさを増す「文章を書ける美女」を目指して自分の思い描く世界を表現し続けてきた。

作品が売れた時、自分の活動理念や文章力を認められた時、私は当然嬉しかった。

一方で、SNSのコメント欄に連日頭を悩ませていた。

容姿に関することしか書かない人に対しては、知性を感じないもののまだ許せた。

厄介なのはやたらとファンアピールをしたり、直接会ったことがなくSNSでのつながりでしかないのに「気持ちよく分かるよ」などと変に友達感覚で接してくる人たち。

この人たちは変に親しげに接してきて、変に「応援してるよ」などと言ってきて、そのくせ私が本を出版した時は「本を買うだけが応援じゃない」などと言って私の作品を無視をすることがほとんど。

その態度に私が「私の思いは尊重されていない」「私の尊厳が傷つけられた」と感じるのは不思議ではない。

さらに相手が年上の男性だと、馬鹿にされているかのような気分にもなる。





話は少し変わるが、他人への評価というのは相手がどうこうではなく、自分自身の都合によってその都度変化するものだと思う。

調子のいい時だけ褒めて、都合が悪くなったら貶す。

ここまで極端ではなくとも、私を含め誰もが自分に都合よく相手を評価する面はある。

文章力の有無、上手い・下手も、作品を書いている人間がどうこうというよりも、評価している人間の感情が反映される。

「この人が嫌いだ」と願っている人間が、相手の作品のことを「下手くそ」と評価するもの。

同じ作品であっても「この人のことは好きだ」と思う人はその作品を「上手」と評価するもの。

自分の感情と他人への評価をすっぱり切り分けられるほど、人間は器用な生き物ではない。





私は容姿を使っているくらいなのだから、それなりに容姿が整っているのだと自覚もある。

そしてそういう人間が文章を書いて発信すれば、とりあえず「才色兼備」とは言ってもらえる。

「天は二物を与えずとは言うけど、鈴木さんはたくさんもらってるよね」

そう言われることも多々ある。

そう言いながら本気で私を賞賛し、認めてくれる人ももちろんいるが、嫉妬する人がいるのも想像に難くない。

たくさんの人が私の作品を評価してくれている中で、「鈴木詩織は文章が下手だ」とか「鈴木詩織の作品は読む価値がない」などと言ってる人を見ると笑ってしまう。

「それは私がどうとかではなく、あなたの嫉妬があなたにそう思わせているのよ」

男も女も、私に対して「下手くそ」「読む価値なし」と思っている人は単に嫉妬に狂っているだけなのだ。

「こうやって容姿で売ってる人は中味がない人間なのだろう」

勝手な偏見で表面的に判断して論じているだけなのだ。

その嫉妬に歪んだ評価は見ていると笑えてしまう。

結局表面的に褒めている人も、批判してくる人も、見ているところは表面だけ。

「鈴木詩織は容姿を出してアピールしている」

それだけを見てあれこれ言っているだけ。

人としての中味を見ているわけでもなければ、私の思いを尊重してくれているわけでもない。





私の活動自体を本当に尊重し、私のことを認めてくれた人は確かにたくさんいる。

だから私は今の仕事を仕事として成り立たせることができている。

しかし上から目線で表面だけを褒めて満足している人や、嫉妬に歪んだ評価を私に下す人はとにかく目立つ。

彼らは目立とうとしてやっているのだから、目立つのも当然だ。

私もまだまだ二流なのか、時々、本当に自分のことを支えてくれる人のことを支えてくれる人のことを忘れて、偏見に満ちた目で私に適当なことを言う人たちに振り回されてしまう。





この5年間、男や女から向けられるこうした偏見との戦いだった。

女だから。

年下だから。

容姿を前面に出しているから。

だからあなたの作品は読む価値がない。

自分の思い描く世界を表現しようとしているのに、偏見が邪魔をする。

あと半年で私は30歳になる。

30歳になればこうした偏見から逃れられるのだろうか?

偏見なく、私の思いが受け入れられ、認めてもらえるのだろうか。





今朝マキエマキさんのnote投稿を見た。

表面的な部分だけで偏見を持たれて一生懸命取り組んでいることを評価されず、傷ついているのは私だけではないのだと思えた。

私のやっていることにはとにかく偏見が多い。

でも、私には表現したい世界がある。

この偏見を跳ね除けて、私はその世界観を今後も貫いていく勇気をこの投稿からもらった。

マキエマキさん、ありがとうございます。





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