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映画短評第五回『ムーラン(2020)』/新しい時代に描かれた古臭い考え

 映画が持つテーマと、それを作る側の信条との間には、時に大きな溝がある。それも大作になるほど、監督や脚本家個人よりも企業の論理が優先され、周り回って作品の評価を急速に低下させて行く。今作も、ウイグル自治区での撮影と、エンドロールの同区政府機関への感謝の記載に関する報道により、配信前から相当な打撃を受けていた。
 評を書く側としては、こうした事実を頭に入れたうえで鑑賞に臨まなければいけない。はたして、その前提のもとで良いものを注釈抜きで良いと言えるのか……。と心配していたが、それは杞憂に終わった。結論から言えば、全く褒めるところがない。
 ファ家の長女ムーランは「女の幸せは結婚」とする村のしきたりに疑問を持ちながら暮らしていた。そんなある日、国に敵が攻めてきたことで、彼女は男として出兵し自らの存在意義を証明しようとするが……。 
 1998年のアニメを実写化した一作だが、その内容は似て非なるものだ。アニメ版公開当時に論争となった部分を中心に削除が行われ、より「現代性」のある要素が取って代わった。
 これで内容が良い方向に変わったかと言えば、全くそうでは無い。むしろ、アニメ版にあった軽快さが失われ、実写の映像が話の荒唐無稽さとご都合主義を引き立ててしまっている。追加要素は、例外なくただくっつけただけで、役に立つ瞬間はない。
 特にキャラクターの扱いが酷すぎる。名前を変えただけ、性別を変えただけで、その変更が意味を成すことがない。皇帝は好戦的な性格に変わり、初登場の魔女でさえ、単に喋る龍を排除した代わりに付け足されたファンタジー要員扱いだ。
 さらに魔女に関しては、主人公の対極として演出されながら、ラスボスの立場をあっさり男に譲ってしまう。結局、野蛮な男性権威の象徴を力で倒し、武力絶対主義の皇帝に認められるという、何度見たか分からない結論に至る。
 女性の自立は、男性に認められなければいけないのか?天下のディズニーの感覚は、未だそこ止まりということだ。
さらに付け加えれば、今作の中国描写は外見だけにこだわり過ぎで、作り手の持つ中国のイメージは一切進歩していない。まさか2020年にもなって、あんなに薄ボンヤリした「気」という概念を見せられるとは思わなかった。
 なぜ今なのか、なぜムーランなのか。何か思惑があったにせよ、その全てが外れた許し難い一作。仮に前述の報道が無かったとしても、受け入れられることは無かっただろう。
 ディズニーには、過去作の意味を持たない実写化から離れ、ディズニー+のアプリ性能向上に力を注いで頂きたい。
                          (文・谷山亮太)

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