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映画短評第一回『朝が来る』/感動の先にある気づき、痛みの先にある肯定

 映画には、臨場という最大の魅力がある。日々生活するうえで体験できない出来事を、第三者として安全圏から眺める。その特権こそ、人が映画を見る最大の理由だと言えるだろう。ただこの特権を行使する時、どんなに悲惨な出来事が起こったとしても、傍観するしかない瞬間がある。たとえ救いのない決断がされたとしても、受け入れる他ないのだ。あとはそこから何を学び、仮想から何を現実に持ち込めるかに掛かっている。気付きと学びもまた、映画の担う大きな役目だ。
 その点において今作は紛うことなき映画であり、子を挟んだ二人の母親の物語を眺めるという体験には、普遍的な感動がある。
 だが今作に、感動的側面だけを見せて終わらせる気は一切ない。特別養子縁組によって生まれる幸せだけでなく、その裏側に隠れ、挙句には「なかったことにされた」人々の姿も映し出す。題材を取り巻く裏表の両面をハッキリ描き、片側の心理と善意がもう片側にとっての何であるかまで踏み込む。そこにはある一方に対する肩入れもないから、観客はより現実とフィクションの境目を認識できないはずだ。肩入れがない分、正解と言えることがないのも、リアルで痛い。
 徹底して実に肉薄する虚を作り上げ、観客を気づかなかったもう一つの現実に向き合わせる、思考の出発点に事欠かない見事な一作。4DXを超える究極の臨場感に、是非心をえぐられてきて欲しい。
                         (文・谷山亮太)

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