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社交ダンスのファン感謝祭っていうものは

ぶっちゃけて言うと、ファン感謝祭っていうものは「余計な仕事」だと思ってた。
プロ1年目のあの時は。
「彩ちゃん、俺、この格好変じゃない?」
パートナーにぐるっと一周してみせると、彩ちゃんは俺を上から下から、右から左から見回してクスッと肩を揺らした。
「かっこいいよ。でも気合い入れすぎじゃない?」
「だって、今日はあの人がいるから」
俺は最後にネクタイを締め直すと、一年前のことを思い出していた。

──

俺が所属しているプロ団体、JDCのイーストダンス選手権は、団体のチャンピオンを決める四大大会の一つで、デビュー戦としてプロの世界に殴り込みをかけるつもりで参戦した。
ところが……。
「二発ってなんだ…」
かろうじて一次予選は突破したけれど、準決勝どころか次の予選すら上がれない。
プロの世界の洗礼に、俺は打ちのめされていた。
「まー、こんなもんでしょ」
俺とは反対に、リアリストの彩ちゃんはケラケラと笑っている。
「悪いけど、放っといてくれよ」
「私はいいけど……この後、感謝祭だよ?」
「は?」
感謝祭ってなんだよ!?
「聞いてない?観戦してくれたファンの皆さんと、ダンスタイムがあるんだよ」
なんだそれ!?
「チケット11枚で2,500円。ちなみに選手は原則全員参加で、ジャッジも踊るからね」
「マジか……」
(誰が思いついたんだよ、そんなの)
「会場付近の教室で教えてる先生は営業になるだろうけど、俺みたいな関東の端っこの人間になんのメリットがあるんだよ?」
──バコッ!
「いてぇ!!」
後頭部に目から火花が出るような衝撃を感じて振り返ると──
「新村先生……」
「様子を見にきてみりゃ、やっぱりな」
アマチュアの時から何くれとなく気にかけてくれている新村先生は、今日も決勝で優勝争いに絡んで入賞し、上機嫌だった。
「ファン感謝祭ってのは、そう言う問題じゃないの」
「いてててて、いて、いてっ!」
素晴らしいダンサーでもありつつ、格闘技ファンの新村先生は俺に容赦無く締め技を決めてくる。
「お前、ばっくれようとか思ってんじゃねーぞ」
「分かりました、分かりましたから!……ギブギブギブ!!」
首に巻きつく腕を叩くと、新村先生はようやく離してくれた。
「あ、そーだ、緑の着物の人と踊ってやってくれ」
「緑の着物?……新村先生の生徒さんですか?」
「いや、よく競技会を観に来る人」
「は?」
(なんで生徒でもない……ただ見にきてるってだけの人を、新村先生ほどの人が斡旋してんだ?)
よく分からないまま、俺は渋々フロアに降りていった。

さっきまで熾烈な優勝争いを繰り広げていたフロアには、ジルバやブルースなどの曲がかかることも相まって、のんびりとした空気が流れていた。
俺より先にイブニングドレスに着替えて出ていった彩ちゃんは、見知らぬおじさんと楽しそうに踊っている。
「っつーか、こういう行事があるなら言ってよ……」
ジーパンにTシャツという自分の格好が恥ずかしくなりながらフロアに入ると、入り口でキョロキョロとあたりを見回す着物のご婦人が目に入った。
「あ」
(この人か……?)
「あの、あの、一曲お願いします!」
お誘いするとご婦人の方も俺を見て、あ……と小さく呟く。
「お願いします。ブルースしか踊れないんですけど」
「ちょうど、スローですね」
俺はご婦人の手を取ってフロアに出た。
「ブルース、踊りましょ」
「はい!」
パッと嬉しそうに微笑むと、ご婦人は俺の手を取ってくれた。

「浩樹くん、今日がデビューだったのね?」
ゆったりとブルースのステップを踏みながら、ご婦人は終始ニコニコと微笑んでいた。
「俺の名前、知ってるんすか?」
「あら、ごめんなさい、『くん』だなんて。もう先生よね」
「いえ、いいです、いいです!……ってことは、アマチュアの時から見てくれてたってことですか?」
「ええ、今日も素敵でしたよ」
「あははは……」
結果を考えればとても素敵だったはずはなくて、愛想笑いを浮かべるしかない。
「お世辞だと思ってるでしょ?」
ご婦人はクスッと肩を揺らした。
「本当に素敵でしたよ。プロの中でどんどん踊りが変わっていくんでしょうね」
(あ、そっか……)
見にきてる人に分かるほど、俺の踊りは良くも悪くも「アマチュアっぽい」んだ。
『プロの洗礼浴びてこい』と言ったコーチャーの言葉が脳裏に浮かぶ。
「しばらくは拝見できないけど……また楽しみにしていますから」
一曲が終わるのは、あっという間だった。
「ありがとうございます。……っていうか俺、いや……僕、こんな格好ですいませんでした」
「いいえ。こんなおばあちゃんと踊ってくださって、ありがとう」
(っていうか、しばらく拝見できないってなんだろう。忙しいのかな?)

感謝祭が終わって控え室で座り込んでいると、ピタッと頰に何か冷たいものが触れた。
「つめたっ!」
「よう、お疲れちゃん。がっつり踊ってたな」
俺の頰に、缶コーヒーを当てていたのは新村先生だった。
「そりゃあ、まあ……」
(正直、みんな、俺なんかと踊るのスッゲー喜んでくれてたし)
「あの……着物のご婦人は何者なんですか?」
「知らん」
「え?」
「言っただろ。本当に知らない。でも、俺がデビューの頃からあの人は見にきてて、頑張れって言ってくれたのよ」
「……マジッすか!?」
(新村先生がデビューって……何年前だよ!?)
習いもせずに競技会だけ見にきて、ただただ応援してくれるファンの存在を、俺は今日、初めて知った。
「今日も、お前のこと予選から応援してたぞ。背番号叫んでるの、聞こえなかったか?」
「そういえば……」
アマチュアの時にはそれなりに活躍していたとはいえ、プロになった俺のことなんか、俺に習っている生徒さん以外誰も知らない。
生徒さんも、関東の僻地から遠征して応援に来てくれる人は、無名の俺には『まだ』いない。
まだ……だといいけど。
そんな中で聞こえてきた声援に、どれだけ励まされたことだろう。
「でも、しばらく来られないらしいけどな」
「そんなこと言ってましたね」
「ああ、聞いたか?手術するって」
「え!?」
「なんだ、それは聞かなかったか?」
「……聞いてないです」
(言ってくれればよかったのに)
そんな風には全然見えなかった。
「俺、ジーパンなんかで踊っちまいました」
「感謝祭があること自体知らんなら、しょうがねーわな」
「もう一曲くらい、誘えばよかった」
「俺たちに取っちゃプラスアルファの仕事でも、あの人たちにとっちゃ、唯一の一曲なんだよ」
うなだれると、新村先生の大きな手が俺の頭をポンポンと撫でる。

──

それからしばらく、本当にあのご婦人が競技会の会場に姿を現すことはなかった。
けれど今日──
「58番!」
聞き覚えのある声に、顔を上げる。
「浩樹先生ー!彩先生ー!!」
(あの人だ!)
赤いドレスのその人にめっちゃアピールした俺は、苦節一年、ついに決勝入りを勝ち取った。

何を踊ってあげよう──
もしかして、ブルース以外も踊れるようになったのかな?
今日は着物じゃなくてドレスだったし。
赤いネクタイをもう一度締めなおすと、俺は浮き立つような気持ちでフロアに降りていった。

※扉写真のご協力:手島紫乃先生&生徒さん
(内容とご本人は無関係です)

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