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統合失調症の人がSNSを利用するときに注意したいこと

統合失調症を発症する人は、100人に1人の割合と言われています。
ですから珍しい病気ではないようです。
しかしこの病気を発症した過去があることは、なかなか言いにくいことです。

他の精神障害(うつ病や双極性障害)は徐々に認知が広がっている様子がありますが、この病気に対する世間の理解はまだまだのように感じます。
通り魔殺人のような、残酷で悪質な犯罪者が「精神病だった」と報道されることがあります。他にも、度が過ぎて近所迷惑な人なども「頭がおかしい」「精神病ではないか」と言われているのをネットで目にすることがあります。
他の精神障害に関してのネガティブな反応はからかいや、ディスり、否定を受けるパターンがあるようですが、統合失調症はどちらかというと怖がられている、もしくは嫌悪されている気配を感じます。

統合失調症は2002年に精神分裂病が名称変更されて呼ばれるようになった病名です。私が病を発症したのも2000年頃で、その頃はまだこの病気に対する医師の理解は乏しかったようです。発症当時は大変でした。細かな説明はここでは省きますが、感覚が過敏になるところと鈍麻になるところとあって、それが数日単位で様々な症状に変わっていき、困っている症状を医師に訴えるとその度に薬が増やされ、大量の薬を毎日飲んでいました。

その頃は若かったので、私自身の人生経験が少なく、状況にどう対処したらいいのかわかりませんでした。
医師からはとにかく薬を飲み続ければいいと言われるばかりで、当時の私は聞かされていませんでしたが、母には「社会復帰は無理」と伝えていたそうです。
そこから山を越え谷を越えて、20年くらいかけてなんとか半分くらいは社会復帰しています。

ここまで来るのに大変だったことは「誰も何をどうしたらいいか教えてくれない」という一言に尽きます。

「何を欲して、何を必要としているか」を「自分で理解して、人に伝えていく」ことが必要です。

精神的な病の状態では、この辺りのところがわからなくなったり、歪んでしまったりしているのだと思います。
普通の人の感覚では当たり前のことなのでしょう。が、一旦病を発症して感覚、体感、思考がバラバラになってしまうと、それらをつなぎ合わせるのは努力を要します。
発症当時は発症前と比べて、頭の回転が遅いように感じたり、感情が鈍くなったりしたように感じていましたが、もう遠い記憶になってしまい、あまり思い出せません。昔と比べても仕方がありません。今の自分が私です。

様々な境遇の方がいらっしゃるでしょうから、私の体験や思考をくどくどと書き記しても、見苦しいだけで役に立つかどうかわかりません。
せめてお読みいただいた方に、ためになりそうな話。

いざという時、誰がいてくれるか。信用できる人を見分ける方法です。

私はツイッターで今の仕事を得ました。そのおかげで生活できています。
SNSは若い世代になればなるほど当たり前になっていくでしょうし、社会的にもインフラ化していくのでしょう。
ただし注意しなければいけないことがあります。

マナーは必要です。それだけでなく、人を見ることです。自分自身が相手に対して注意を向けるだけでなく、相手の自分への態度にも判断力を持った方がいいです。自分が相手に対してマナーを守るだけでなく、相手が自分に対してマナーを守ってくれる人かどうか。当然のことですが、人生がうまくいかない時期に自己肯定感、自己評価が低くなることは誰でもありますから、そのような時は多少雑な扱いをする人でもついていってしまいがちになりますので、注意が必要です。

注意した方がいいケースを3つ挙げます。

仲の良い人が仲良くしている人だから安心、という安易な判断をしたことで、嫌な思いをしたことがありました。
特に精神的に病んでしまいやすい人は、ツイッターは「メンヘラ」と呼ばれる情緒不安定を標榜する方が多くいるので、周りの人達の感情に巻き込まれないように注意する必要があります。
人に振り回されやすい自覚がある方は、1.喜怒哀楽の激しい、語調の強いツイートが多い方はなるべく避けた方が無難です。

仲良くなると雑になる、は私は信じていません。付き合いが長くなればなるほどに、お互いの距離感が大切になります。
自分が仲良くなったつもりでも、相手の対応が雑になったと感じるなら、心を許しているというよりは「この人はこの程度の扱いでいい」となめられているのではないかと思います。
相手の対応に納得できるのならば、それでいいと思いますが、2.疑問を感じるなら少し離れてみた方がいいでしょう。
距離感があった方が冷静になれますし、相手のことをより客観的に見ることができます。

皆んなでワイワイしていると、仲良くなったと勘違いしてしまいますが、仲良くなったらお友達ではありません。少なくとも私はそうでした。
いろんな目的を持った人がいて、いろんな思惑があります。
巧言令色鮮なし仁(こうげんれいしょくすくなしじん)、とはよく言ったものです。
褒めてくれる人がいるとつい気持ちが弛んでしまいますが、失敗した経験があるので、3.心からそう言っているのか? ビジネスではないか? を忘れずに意識しています。

どんな人が信用できるかの結論です。

お金がなくて、おなかを空かせていたなら、迷わず食事をご馳走してくれるような人。自分が食べていくことに手を貸してくれる人です。
少なくとも私はそう思っています。

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