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何を見ても「私以外、みんな余裕」

【ブログお引越し中】当記事は、別ブログに掲載していたものに加筆修正して移動したものです。(旧ブログでの投稿日:2020.07.12)


生きていると時々、手に余るような困難が訪れる。
闇が訪れると、目の前の問題のことしか考えられなくなったりする。

そんな時、電車の中などで他の人を見て「ああ、皆は今、私が抱えているこの問題を抱えていないんだ。いいなあ…余裕だな…」などと思ってしまうことがあるのだ。

そんな時は、電車の中の人々に限らず、YouTubeで不特定多数に発信をしている人々、ブログを書いている人々等、あらゆる場面で同様のことを感じてしまう。

人を癒す役割を持つ誰かの、不特定多数への穏やかな語り口は、人を癒すこともあれば、「いいなあ、余裕で人を癒せて…」などと思ってしまう人間もいる(余裕を失っている時の私だ)。なんて狭い了見なのかと我ながらげんなりする。

しかし実際のところは、そんなことはない。

皆、大人なのだ。だから、電車の中で号泣したりしない。YouTubeで辛さを吐露したりしないだけ。
皆、それぞれの事情を抱え、たとえ辛くて崩れ落ちる寸前だとしても、涼しい顔をして電車に乗っているだけのことなのだ。

全く何の闇も抱えたこともなく、ただ光の中だけで何十年も生きている人なんて、存在しない。

神話を見よ。神だって、争ったり、失恋したり、挫折したり、嫌われたり、情けなかったりする。
人間に何もないわけがあるまい。

「人を癒す人」がどうのと書いたが、人を癒すことを使命として生まれてきている人などは、むしろ、その逆であることが少なくない。
その使命が故、人の苦しみを知るために、苦しい境涯に生まれつく人もいるのだ。その中で人生における様々な苦しみを知り、人を癒す仕事を志すということもある。

闇の中にいる時、私は毎度決意するのだ。
「この闇を抜けた後も忘れないようにしよう。元気で電車に乗って、些細なことに悩めるのは幸せなことだと」
そして、闇を抜ける度に、忘れる。毎度毎度。
そしていつの間にか、どうでもいいようなことに文句を言って生きる生活に戻る。

今、再び私は決意している。
この闇を抜けた後、決して忘れないようにしよう。闇の中にいたことを。そして、闇を抜けることができたことへの感謝を。

今回は、忘れない自信がある。間違いなく、今までの半生で一番、どん底にいるからだ。これ以上多くのものを失うことは今後ないだろう。あってたまるか。
こんな時でも、文章が書ける自分を誇りに思いたい。

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