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長い、長い答え合わせ

壁一面に、園児たちの作った版画が飾られている。

女の子たちは皆「お花」か「おままごと」を題材にしているようだ。

私は愕然とした。
私の版画だけ、様子が違うのだ。

今日は母が来ているのに。母がショックを受けてしまう。どうしよう。
申し訳なさが身体中に充満した。
その日のことは、もうそのこと以外、憶えていない。

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それは、幼稚園の参観日のことだった。

他の女の子たちは、女の子らしいモチーフを選んでいた。

しかし私ときたらどうだ。

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何なんだ、このエイリアンみたいな奴は。

自分だけ、他の子とは明らかに違う題材を選んでいることに気づき、4歳児は衝撃を受けた。


30数年後、片付けをしていたら、その版画が出てきた。自分としては忘れたい過去の象徴。とっくに捨てたものだと思っていた。

未だに、これが何なのかわからない。
丸がたくさんつながった長い脚。TVとかどこかでこういうエイリアンを見た記憶もない。
憶えている限りでは、UFOに連れ去られてもいない。


私には幼少の頃から「私は普通のかわいい女の子たちとは違う」という根拠のない劣等感があった。

幼少の頃、女性としての自信を失うようなことでもあっただろうか? と遡ってみても思い当たるような事件はなかった。

この版画事件が、もしかしたらそういう劣等感のベースになっているかもしれないと気づいたのは、大人になってからのことだった。

今ならむしろ、皆どんどん変なもの、作ればいいよと思う。そもそも、変も、変じゃないも、ない。作品はただそこにあるだけなのに。

全てがそうだとは言わないが、今の日本の「教育」は、判で押したような、同じような人間を量産し、自分で考えることを忘れさせる側面を持つように思う。
軍隊では、構成員を右へならえで言うことを聞かせなければならなかったからだろう。

中学の時、赤い服を着ていたらクラスメイトにこう言われた。「赤なんて着てるの? 青でしょ」。
当時自分がなかった私は、赤はダサいんだ……と衝撃を受け、その服を着なくなった。

高校に入学して仲良くなった友人は、その歳で既に、古着愛好家だった。

子どもの頃から洋服好きだった私は、彼女と遊ぶ時は古着屋に行くようになり、古着の魅力にとりつかれた。新品にはないこなれ感と、今の時代にはない独特の空気。

その頃から、むしろ人と違うものに惹かれ、身に付けたいと感じるようになった。

その後の十数年、私は古着愛好家だった。大学、その後の服飾専門学校、更にその後のデザイン学校を通じて、ほぼ100%古着を着ていた。

田舎の大学で派手な柄物の古着ばかり着ていた私は、変に目立っていただろう。しかし友人たちは、いつも変な服を着ている私を、こいつはこういう奴だと認め、尊重してくれた。

「普通の子と違う」劣等感はずっと付き纏っていたが、人と違うことが悪いことではないと、様々な人々との関わりの中で知り、もはやあの「皆と違う自分には問題がある」という呪縛は解けている。

デザイン学校の頃、幼少から好きだった絵を再開した。

最初「女の子」が最もうまく描けなかった。
一番得意だったのは、力士や、おじさんや、おじいちゃんであった。一般的には「女の子」は描きやすいと言われるので、不思議がられた。

長い、長い答え合わせだった。

やっぱり私は、私だったのだ。

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