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HSCの息子との対話を書こうと思った理由

私には、高校1年生の息子がいます。(2024年6月現在)

おそらく彼はHSC(ひといちばい敏感な子)だと思って子育てしてきました。

また、子育てをする中で、もしかしたら自分もHSP(ひといちばい敏感な人)なのかもしれないって初めて思い当たりました。(今も本当にそうかどうかはわかりませんが……)

息子が、いわゆる育児書に載っている子どもの様子と違うと気づいて、それが母としてとても不安で、インターネットで検索しまくっていたのは、今から10年くらい前のことです。

そんなある日、「子育てハッピーアドバイス」シリーズの著者である心療内科医の明橋大二先生が、HSCについて書かれた記事に行きついた時、「これだ!」と思い、目の前が開けて、視界に光が差し込みました。

エレイン・N・アーロンさんが書かれて、明橋大二先生が翻訳された書籍「ひといちばい敏感な子」がその後まもなくして出版され、お守りを得た気がました。

その翌年くらいに「子育てハッピーアドバイザー養成講座」に参加し、明橋先生に直接、「HSCについて記事や書籍を書いてくださり本当にありがとうございます」とお伝えしたことをついこの前のように思い出します。

明橋先生が日本語に訳してくださった、HSCについての書籍「ひといちばい敏感な子」が出版されてからもうすぐ10年経ちますが、今や、この概念も世の中に広まり、とても多くの保護者の方が知れるようになって本当に良かったと思っています。

そう感じながら、今、自分が思うのは、カテゴライズの大切さと、それにまつわる難しさです。

私も、我が子の状態に名前がついてホッとする気持ちを体験しましたし、息子が本当にHSCなのかどうかわからなくなった時期もありました。

息子自身も、本を読んで「俺、これだわ」と言って安心もしていました。(小学校中学年くらいの時)

だけど、何か枠にはめることで逆に不安になってしまったり、不自由になってしまったりすることもある気もしています。

今は、正直「息子がHSCだったとしても、そうでなかったとしても、どっちでもいいな」とも思っています。

だんだんと概念が気にならなくなってきて、今は、息子の個性が活かされたらいいなとか、もしかしたら、個性とかも別にどうでもよくて、息子が幸せを感じながら生きて行ってくれたらいいかもしれないと思う時もあります。

そう書きながら、もう少し学校の勉強が好きだったらよかったかもな、などと、親として欲深く思ってしまうこともあるのですが……。

私は子育てをする中で、たくさん、つまづいたり、悩んだりしてきました。その度に、いろいろな学びに助けられてきました。

ほめ達、子育てハッピーアドバイス、親業、アドラー心理学etc……

その学び一つひとつに、また、そこに導いてくれた仲間たちに心から感謝しています。

中でも、「ほめ達」については認定講師になり、子育てハッピーアドバイザーの資格もいただきました。

伝える側になってもいい資格をもらっても、「まだ自分が子育て中だから」「まだちゃんと自分のものになっていないから」と思って長い年月を過ごしてきました。

そして、まだ子育ての途中ではありながら、息子の義務教育を終えた今、何を思うかというと、今度は「自分が幼児を育てていた時代と10年も違うから、自分が使った知識が古くなってしまったかもしれない」と思ってしまっています。

それでも、もちろん、学びは自分のために充分になったので、それはそれでいいんだとも思っています。

だけど、最近、学びの仲間に続け様に言ってもらったことがありました。

「息子さんとの会話は面白いです。うちの子育てに参考になります」

「息子さんの言葉が、自分が母親に対して思っていたことに似てて、興味深いです」

え? そうなの?

ちょっと驚きました。でも嬉しかった。

もし、息子との何気ない会話を中心にして、自分が子育てをしているときに感じていたこと、それを客観的に今思うことなどが、誰かの参考になったら、それはとても嬉しいなと思いました。

うまく書けるかわからないし、どれだけの人に読んでもらえるかもわからないのですが、ちょっと挑戦してみようかと思います。

これから少しずつ書いてみます。

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