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ライブレポート:「ライブへ、おかえり」~12年の空白を埋めた母からのごほうび

5月某日。

実に、12年ぶりに行ってきました。
彼のライブへ!

デビュー35周年を迎える、福山雅治。

最近、ファンクラブメンバーといえども、ライブのチケットを手に入れるのは、かなりの競争率の高さ。
特に神戸公演は、ホールの規模がさほど大きくないため、毎回「激戦区」になる会場のひとつです。

半ば、あきらめモードで申し込みましたが、ラッキーなことに、参加の「お許し」をいただけました!

思うように育てきれない起業後の事業。
子どもの進学、母の看護に介護、告別式に1周忌、原稿〆切の山などなど……。

公私に渡って多忙を極めた12年間。
時間も気持ちも、経済的にも、ライブどころではない余裕の無さでした。

泣く泣く参加を見送り続けていたら、ついに干支が1周してしまってた……。

初めて遠足に出かける小学1年生のように、ドキドキしながら眠りについた前日の夜。うれしさのあまり、何度も目を覚まして夜をやり過ごし、ようやっと迎えた当日。

朝の空は、どこまでも青く、高く、気持ちよく、12年分のときめきが、はじけて広がっているかのようでした。

お気に入りのNIKEのスニーカーを愛車に積んだら、最寄りの駅までのドライブは、もちろん彼の曲がBGM。
この歌の手拍子は? この曲はどんなリズムだっけ?

彼の歌声で満ちる車内は、さながらライブの予行演習!

そして会場へ。

ライブ会場独特の、うっすらともやがかかったような空間が懐かしい! 
アリーナに並んだ座席の番号を、一つ一つ確認する足取りが、知らず知らずのうちに早まります。

自分の席を探すのは、いつも会場の後方から……が長年のクセ。すぐに見つけられるから。

それなのに今回は、座席に振られた番号を確かめれば確かめるほど、会場の前へ前へと進んでいきます。

ようやく見つけた自分の番号は、メインステージから花道が伸びた先に設置された、もう一つのステージからほんの数メートルの場所。

豆でも、米でも、ゴマでもない、まぎれもなく「人間」サイズの彼と出会える席に腰を下ろすと、それだけで目頭がじーんと熱くなってしまいました。

刻一刻と近づく、開演の時。

客席から起こり始めた手拍子が、次の瞬間、歓声に変わった!
いよいよ、夢の3時間のスタートです!


「神戸という地は、特別な場所。」

ライブの終盤で語られたのは、どんな想いでエンターテインメントを届ければいいのか、エンターテインメントを届ける意味は何なのかを、彼自身が考える原点になった体験でした。

1995年1月17日。

新曲のプロモーションで大阪にいた彼は、深夜ラジオの生放送を終え、ホテルへ帰るタクシーの中で、あの阪神・淡路大震災に遭遇していたのです。

「怖いくらいの静寂。ものすごい静けさ。何もなかったかのように、まちは静かだった。」

そんな大地震に遭遇した翌週、北海道でラジオの生放送のパーソナリティを務めた彼に、心配していたファンから安否を気遣うたくさんのメールが届いたそうです。

「ファンの皆さんに心配をかけて申し訳ない。」という想いと同時に、アーティストとして、エンターテインメントを提供する者として、何をすべきか、どうあるべきかを考えたという彼。

そして始まったのが、大震災で被災した人々に向け、ギター1本で歌い続けるラジオの企画でした。

「アーティストとして自分にできることは歌を歌うこと。元気の出る曲を。」とラジオから被災地に向け、3年余り届け続けた弾き語り。

その企画の最後に歌ったのは、被災者を勇気づけるための一曲。
今や、神戸ライブのテーマソングと言っていいと(私が)思っている歌でした。

「ラジオを通して、被災者や被災地とエンターテインメントでつながっていくとは、どういうことかを教えられた。」と語っているように、彼の「今」につながる根幹の一つになっているのが、神戸の地だったのです。

私にとっても、福山雅治の楽曲は、人生の節目に寄り添ってくれる曲が多いのです。

生き方に迷い、途方に暮れかけた時。
「大丈夫だよ」と、そっと背中をなでてくれた曲。

人生最大の試練ともいうべき事態に遭遇した時。
「あなたに乗り越えられないものはない」と勇気をくれた曲。

最期を看取ってやれなかった母への贖罪には、「幸せでいなさい」と母の代弁者のように、歌い聞かせてくれた曲。

数え上げれば、きりがありません。

そして、そんな私にこの日のライブでも、驚くべきことが起こったのです。

「えー、ライブでは本当に久しぶりに歌います。」

彼のMCと共に流れ始めたイントロに、心が震えました。

それは12年前、横浜まで出かけて参加した初ライブで、当時生まれたばかりの新曲として、初めてファンの前で披露された歌だったのです。

「ライブへ、おかえり」

彼に、そう迎えられた気がして、一人号泣。

そして、12年分の空白を埋めるかのように届けられたその歌は、介護で長らく身動きの取れなかった私をねぎらう母からの、「お疲れ様、ありがとう」というメッセージのような気がしたのです。

彼が、エンターテインメントを届ける意味は何かを日々考えている一方で、私たちはエンターテインメントを受け取る意味を、知らず知らずのうちに体感している気がします。

うれしい時、楽しい時、悲しい時、心が折れそうになった時。
いついかなる時も心に寄り添い、一人ひとりにメッセージを届けてくれる。

喜びは2倍に。一人ぼっちの不安や寂しさ、悲しみは、そっと薄めて半分に。

12年ぶりに浸ったエンターテインメントの空間は、とてもやさしく、温かい世界でした。

それは、福山雅治その人の、やさしさと温かさでした。

(終)


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