2021/3/15

Instagramに投稿していた文章です。
最近アカウントを消してしまったので、こちらに残しておきます。

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初の試みですが書評を書きます。
ジュンパ・ラヒリ『低地』

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「初めのうちは、どこかへ置き忘れたに過ぎないと思った。愛用のペンが見つからなくなっても何週間かたって出てくるようなものだ。……ところが出てこない。」
何についての一節かというと、子育てを始めて五年が経って、自分は我が子を愛せていないということに気付いた母親の心情です。
ジュンパ・ラヒリは1967年、英生まれのベンガル人作家ですが、多くの人が感じるであろう人生の普遍的な喜び、悩み、漠然とした不安を、そして時にはその解答までもを、作中で鮮やかに描き出しました。その中には、私自身がこの先経験するであろう出来事に対する不安も含まれます(冒頭の一節のように)。震え上がるのは、種々の不安に対する解として、考えまいとしていた倫理にもとる行動や、心の奥底では憧れている淡い自覚があるが、実行に移せない大胆な生き方までもが提示されます。しかも、その選択をした人物の境遇や思考回路の詳細な記述も合わせて提示されるので、大いに共感できてしまうし、そういったことが、小説全体を通して、いろいろな場面で幾度となく登場するのです。
500ページ弱で半世紀以上の時が過ぎますが、最終章は小説の核となる出来事で締め括られます。社会の不正義に憤り、自身の不正義に盲目となった人間が最期に吐露するのは、愛しい人への愛ですが、心の底から活動家となった人間は、後世で正義が達成されることを願いながら死にゆくのでしょうか。確かに1980年代のインドの農村部は飢餓や貧困が蔓延した酷い状況だっただろうし、先日偶然観た映画LIONでもそのことがよくわかりました。それでも、こんなはずではなかった、こんなことに首を突っ込むべきではなかった、愛する人と生きたかった、と思いながら銃弾を撃ち込まれたであろうことが伝わるラストで、あまりに切ない。同時に、自分の人生は、能天気に愛する人を愛するだけで終わっていく、ということももはや正解とは思えず、不正義が蔓延る世の中に生きているのに何をぼんやりしてるんだろうとも考えてしまう読後です。

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小川高義さんの翻訳、脱帽です。

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