シン・ウルトラマン

庵野監督の「シン・ゴジラ」はリブート作品として完成度が高く、それでいて庵野節も効いていて、特撮への敬意はモチロンのこと、特撮はこの日本が本場だぞと言わんばかりの日本要素が敷き詰められていた。
その日本要素――というのがゴジラの動きもさることながら、頭のカタい会議や判断といったエンタメからかけ離れた要素もあり、海外ではイマイチだったものの国内では大絶賛だった。
前置きが長くなったが、そんな「シン・ゴジラ」の次に同じく特撮の雄であるウルトラマンが来たとなれば、期待度は高くなろうというもの。
が、僕の評価は「映画としてはイマイチ」だ。

「ウルトラマン」としては心からの称賛を送りたい。
ウルトラQの怪獣に始まり、ゴメスはしっかりゴジラのモデルを使っていて(しかもちゃんとシン・ゴジラのモデルというのが"分かってる")、冒頭からオタク特有のニヤつきが抑えられない。
キャラクターのセリフにも「首だけ挿げ替えたような〜」といった分かる人にしか分からないさりメタ発言もさり気なく散りばめられ、ゾーフィに関しては爪先から頭の天辺までメタの塊なのはファンではない人にも知れることとなった。
ゼットンは大胆なアレンジをされて登場するが、その解釈はとても納得ができ、劇場が明るくなってからもなるほどやられた流石だなとしきりに感心して余韻に浸っていたのを思い出す。

が、映画として、映像作品としては決して良いと思えない内容だった。
そもそも40話ほどある作品を2hに収めようというのが無謀なもので、総集編のようなテンポで次々と戦闘があっては少々落ち着かない。
ただし、冒頭のダイジェスト風に禍特対が設立されるまでは素晴らしいと思っていて、見栄えするシーンでフックを作りながらも説明調にならずにプロローグを終えている。
「第9地区」でも似たような手法が使われていたが、こういった演出でのハイテンポは気にならない。
あくまでガボラ戦後辺りからが詰め込み感があり、ドラマパートにまで食い気味なのがスマートではないというところだ。
じゃあどうしろと?と言われると物語には困るので、脚本としては頑張ったのだと思う。
元が無謀だったから、ウルトラマンが人間を好きになるのを諦めて、どうやらこれからも共に戦ってくれるようだといった完全な異星人扱いで終わらせる……とか?
それはおもんないな。

「禍威獣」という当て字もナンセンスだなぁと個人的に思っていて、そこまでして怪獣という字を使いたいのなら別の造語にすれば良いし、カイジュウと呼ぶことに拘るなら怪獣で良いと僕は思う。
庵野節といえばそうかもしれないが、「シン・ゴジラ」のようなリアルな議会で決めました風を出すなら有り得ない語彙で、そうでないなら捻りなく怪獣を使ったほうがウルトラマンという子供の頃に夢見たコンテンツに合っていると感じた。

尤も、このあとに更に「オタクとして絶賛、映画として酷評」する作品が出るのだから庵野監督は恐ろしい。

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