Fury
クルマの師匠、という感じで小さい頃からお世話になっているオッサンがいる。
元々は同じくクルマ趣味である父の友人だったが、アニメやゲームにも通じていて、そんな繋がりで一回りも違う僕にも良くしてくださっている。
そんなオッサンはミリタリーも大好きで、「World of Tank」というゲームに僕を誘った。
その時にちょうどコラボしていたのが、アメリカのミリタリー映画「Fury」だった。
「Fury」はM4シャーマン(だったかな?僕はミリタリーには詳しくない)の戦車で、その乗組員に配属された小心者・ノーマンが主人公だ。
戦争慣れしていないが故になかなか馴染めずにいるが、市街戦を制圧する頃にはぶつかりながらもチームの一員になっていく。
そして、自国の市民にさえ容赦のない敵国にも怒りを覚え、自らの意志で引き金を引くようになっていくのだ。
ドラマを描くのであればそこまでのドラマを膨らませれば良いが、そこは流石にアメリカ映画で、クライマックスに相応しい大規模な戦闘シーンと英雄の形がその後に示されるのだが、その泥臭い男たちの戦いは語るも野暮というものだ。
個人的に結構面白いと思うシーンがある。
制圧した街で民家に乗り込み、隠れていた一家と遭遇するシーンだ。
戦争という環境では当然ながら――という感覚を僕個人は持っていないのだが――金品を寄越せ女を差し出せと詰め寄り、結果として全て分取っていく。
それは戦争という環境では仕方ないのかもしれないが、その次のシーンで共に食卓を囲んでいる。
これは僕にはなかった考えで、こういった捕虜は略奪後はそのまま殺されるか、どこかにまとめて軟禁しておくかのどちらかだろうと思っていて、少なくとも同じテーブルで食事するとは考えもしなかった。
戦争という環境において敵国民は人間として扱われない、どんなに良い待遇だとしても自分らと同格の扱いは一切無いだろうと思っていた。
しかし、よくよく思い返せば太平洋戦争で捕虜になった日本兵にも優しく接していたという話もあるし、敗戦後もチョコレートを配っていたと歴史の教科書に書いてあったような気もする。
尤も、それらは勝ったアメリカ側の印象操作だと言われればその可能性は否定できないのだが。
とはいえ、「戦場のメリークリスマス」でも何だかんだ捕虜とも良い付き合いをしているワンシーンはある訳で、結局はどんな環境であろうと「善い人」はいるのかもしれない。
もしくは、戦争という環境で目の前の人に対して優位に立った時にこそ、その人の本質が出るのかもしれない。
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