wrapiy

R&Rの思い出を友人たちが綴ります。

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最近の記事

闘うことこそが解放

梁さんとは70年代半ばに知り合い、大阪の鶴橋に住んでいたころ、ご近所さんと言える近さに住んでいた。  そのころの梁さんは精神を患っていたお姉さんの介護生活もあって、精神的に追いつめられていた。彼女から、そのことを聞いた後も私は忙しさにかまけて距離を置いたまま、その後も梁さんとの関係は変わらないできたと思う。  梁さんが吹田のウーマンズ・スクールに関わって以後は、眉間にしわを寄せていた顔が浮かぶばかり。  そんなある日、いきなり梁さんが私に在日朝鮮人と日本人は共に闘えるか。そん

    • やんさんの声が聞こえる  

                           わたしがやんさんと出 会 ったのは、やんさんが指紋押を拒否してカセットテープで「わたしは青いトンガラシダ!」を出したころで、私は豊中で「フリーク」という女たちがあつまる喫茶店をやっていた。 行政 の女 性 センターがまだなかった頃、女たちが何をするのにも場所探しからしなければならない時代 だった。「びいどろほおる」も「フリーク」も同じ時代を通ってきた。 フリークで初めてやんさんのライブをしたのは、やんさんが「ワタシは青 いトンガラ

      • R&R

        梁容子さん梁容子さんの三回忌。 2020年12月20日、 食べ物を喉に詰まらせて亡くなりました。 70歳4ヶ月 60歳頃、3回目の脳梗塞で手足が不自由になっていましたが、 最期までマイペースのひとり暮らし。 コロナ禍のため偲ぶ会もできず、 友人たちが毎月オンラインで思い出を語り、 三回忌を期してそれぞれが思い出を書きました。  動画「おひとりさまを生きるー最期の選択」 https://youtu.be/Sj6F1SD_S-8

      闘うことこそが解放