やんさんの声が聞こえる  


やんさんの漆の作品

                    

わたしがやんさんと出 会 ったのは、やんさんが指紋押を拒否してカセットテープで「わたしは青いトンガラシダ!」を出したころで、私は豊中で「フリーク」という女たちがあつまる喫茶店をやっていた。

行政 の女 性 センターがまだなかった頃、女たちが何をするのにも場所探しからしなければならない時代 だった。「びいどろほおる」も「フリーク」も同じ時代を通ってきた。
フリークで初めてやんさんのライブをしたのは、やんさんが「ワタシは青 いトンガラシダ!」を出した時で、やんさんを取材した朝日新聞の「歌にこめる在日女性の思い」という記事が残っている。その記事のやんさんの写真は、まるで私の娘のように若くかわいい。やんさんが木工教室をやっていた頃には、「木と気と展」梁容子(ヤンヨンジャ)木工ろくろの即売、そして「木のお話し」というイベントもしている。その後、古くなった家を建て替えるので「フリーク」を閉めるが、新しくなった家の食器棚もやんさんの作品だ。川口 洋子さんと採寸にきてくれたことを食器棚を見る度に思い出す。

先日、あまり使っていないその食器棚の一番上の開き戸をあけてみると、白い大きなまぐカップが出てきて、中には、やんさんの漆塗りのスプーンにおはしがドッサリと入っていた。 「わださん、やっと見つけたなあ」とやんさんの声が聞こえてくる。やんさんが亡くなる2,3日前だったか、「わーだーさん」と電話があった。「やんさん!」「ふーん」丁度その時、玄関の方でベルが鳴った。何度も鳴るので「やんさん、ちょっと待っててね、誰か来たみたい・・・」といって階段を下りて行った。5分ぐらいだったと思うのだが戻ってみると、梁さんの電話はすでに切れてしまっていた。その後、何度か携帯に電話をしてみたが、やんさんが出てくれることはなかった。

何日かしてやんさんの訃報が入る。「なぜあの時、電話を切ったのだう・・・」と何度くやまれたことか。やんさーん、わたしももうすぐ行くからね、たくさんお喋りしようね(和田明子)

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