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【充電日記 #9】祖父を見舞う日

充電9日目。
6時50分の電車で出勤するという叔母を見送ろうと
アラームをかけていたが体を起こせない。
遠くでパタパタと支度をしている音を聞く。
結局朝ドラの時間に起きて、一人朝ごはんを食べた。

午前中、ここ数日の充電日記を書きながら
ゆうパックでポケットWi-Fiが届くのを待つ。

風が強い日で、ゴミ出しに行った祖母が
傘がおちょこになりそうだったと言う。おちょこ?
その後ラジオを聴いていると、スーさんも同じようなことを言っている。
文化的な言い回しだなと思う。

お昼を食べ、少し関心のあった会社説明会にオンラインで参加する。
半数は学生で、過去最高の100名程が応募したという。
少し気が引けてしまったが、ユニークな人が多く仕事も面白そう。
受けるだけ良いかもしれない。

まだ、まだ心が揺れている。
判断が早いと言われる私には珍しく、踏ん切りがつかない。
運命を感じていないのかやる気がない…訳ではないのだが。

Uberで祖母の家の近くへタクシーを呼び、病院へ。
運転手はこの辺りが不慣れらしい。ナビ通りで向かってもらったが
結果的に少し遠回りのルートで、時間もかかった。

祖父の容体が多少落ち着き、通常通りの面会となったようで
受付で、孫という関係性で見舞うには主治医に確認しないと、と言われる。
基本的に面会が許されるのはパートナー、親、子、
キーパーソン(緊急時連絡を受ける者)のみ。
見舞う時間も15分で、1日1回2人まで。かなり厳しいルールに感じた。
受付嬢(といっても感じの悪いおばさん)に痺れを切らした祖母が
先に病室へ向かう。

その後、なんとか許可をもらい病室のある階へ
(後ほど、明日以降の面会についても特別に許可を得た)。
エレベーターを出てすぐの待合スペースで抗体検査を受けた。
鼻の奥深くまで綿棒を入れられ涙が出る。痛い、痛すぎる…。
毎日やる羽目になるなら、見舞いは今日限りにしたいと心底思った。
結果を15分待ち、やっと病室へ通された。
病院に着いたのが15時半。病室へ入ったのが17時だろうか。
この時点で、決められた面会時間14時〜16時はとうに過ぎていて、
祖母も私も嫌気が差していた。

祖父は噂通りぶっとい管で酸素を送られていたものの
しっかり話せるし、気持ち的には元気そう。
腕にあざのような生々しい内出血の跡。
昨晩ベット側のベンチに腰掛けようと少し、ねと看護師さん。

何かもてなしをしたかったのか、
冷蔵庫に水があるだろう。飲んでいけ!とか
お前はいつ東京に戻ってくるんだ、
これからは資格だ、看護師になれ!とか言われる。

綺麗好きな祖父には珍しく髭が伸びていて、剃りたそうにしているが
祖母が探しても、持ってきたはずの髭剃りが見当たらない。
家も見てくるね、と言って病室を後にした。

最後に、抗体検査をしたスペースで
退院のサポートをしているという看護師さんと今後について少し話をした。
家に戻ったら、自宅用の酸素ボンベを
24時間つけることになる可能性があること、
看護師や医師を定期的に訪問させた方が良さそうだということ。

もうそこまで話が進むのかと、面食らいつつも胸を撫で下ろしていたが
帰宅後、叔母に話を共有したとき
単純に自宅に帰せると喜ぶものではないのだと、
これまでのようにはいかないのだと、思った。
少々、私も楽観的過ぎたのかもしれない。

84歳の祖母。
退院時の祖父の回復具合は分からないが、
寝たきりを看病するには歳を取り過ぎている。
祖父や祖母の気持ちを尊重した上で、
ちょうどよい落とし所を模索しなければいけない。
そのための時間を与えられたのだ。

病院の最寄りから電車で帰路へ、
途中西武へ寄り漬物やお惣菜、かりんとうなどを買う。
夕食を食べながら、方々へ今日あったことを報告。
夜22時を過ぎたところで、医療従事者である妹もやってきた。
祖母もお風呂で色々考えたのか、少し興奮している。

明日はケアマネさんが家にやってくる。
落とし所について、孫ふたりと祖母で早速話をするのだ。
とにかく冷静に、客観的に見守りたいと思う。

朝 スパイスの効いたベーグル、昨晩のサラダ
昼 豆ごはん、あさりの味噌汁
夜 まぐろといくらの漬け丼、春キャベツの漬物、
  お惣菜のサラダ(九条ネギと湯葉・ごぼうとローストビーフ)

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