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香川県の”ゲーム時間制限”と、高橋名人の”ゲームは1日1時間”は同じ歴史を繰り返す

おはプレイド!(挨拶)
ウェルプレイド代表取締役の高尾です。ハンドルネームは”ぽれさん”です!新年を迎えて、2020年にもなんとなく慣れてきましたね。気を抜くとアッという間に2021年を迎えてしまいそうな気がするので、気を引き締めて参りましょう。(ちなみに写真は2012年に撮ったものでした)

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今はこうです。悪しからず

香川県のゲーム時間制限、直感としてどう受け取る?

時事ネタとしては少し遅いですが、今になって香川県のゲーム時間制限について考えてみようと想います。

18歳未満の子が平日のプレイ時間を60分までに制限されるという条例。ニュースの文面を観る限りでは、「説明が足らないんじゃね?」と思った人が大半なんじゃないですかねー。実際問題として説明は足りていません。僕はどっちかというと依存症を改善したいという大義名分とともに、背景にどんな政治的な動きがあるのだろうとワクワクする感じであります。いやもちろん依存症は改善したほうがいいよ。

ふと自分の学生時代を思い出す

「いや〜、今僕が香川の学生だったらしんどいな〜」と思った一方で、実際の自分の学生時代はどうだったかと言えば、どこの家庭も”ゲームは1日1時間ルール”が存在していたような気がする。例に漏れず僕の家も”基本的”にその思想があった。ただし守るか守らないかは別問題だ。

”ゲームは1日1時間”の真意

これは高橋名人の言葉だと僕は認識しているけど、これの解釈が独り歩きしてしまっているのがもったいない。真意としては「ゲーム以外のこともチャレンジして様々な経験をしよう!」となる。素晴らしい言葉だ。もうその通り過ぎて、これが答えでいい。ゲームも運動も勉強もテレビも恋愛も、全部経験したほうがいいに決まってる。それが”ゲームは1日1時間”だけだと「ゲームは悪いものだから1日1時間までな!」と解釈してしまう。非常にもったいない。

っていうか今回の香川県の条例がまさにそうなんだよな〜

ゲームは薬にも毒にもなると思うので、こういう動きによって毒の部分だけが流布されるのはやめてほしいもんですなぁ。みんな正しくゲームを理解しよう。

反骨精神のエネルギーは強い、という副産物

やるなやるなと言われると、やりたくなるのが人間というもので。小中学生時代の僕も両親が寝静まったあとにコッソリとゲームをやっていた。深夜2〜3時まで。圧倒的に発育に悪いと思う。まぁただ制限をされなければされなかったで無限にゲームをしていたような気もするので、きっと必要な制限だったんだろうなぁ。子供は欲望に忠実だから。

そして今になって思えば、制限されていたからこそ生まれる想いや感情があったなと。当時の僕の考えとしては、

どうしてこんなに面白いのに1日1時間などと制限されるのだろう。
あ〜ムカつくぜ〜!

そこから転じて、”何がどうして面白いのか”を考えるようになり、”いつか自分もゲームを作ってみんなを面白がらせたい”と思っていた。その時は「俺なら余裕で面白いゲーム作れるからヒット作量産したるわ〜」と鼻息荒くしてた。なんていうか、”制限されたが故”のエネルギーは確かにそこにあった。

高校生になって”自己責任”の名のもと制限が解除された僕は、猿のようにゲームばかりやっていた。ダメだ、猿のようにやってしまってはそれこそ依存症だ。エネルギーというものは難しいな。

とはいえ友だちとも遊んだし、カラオケも行ったし、恋愛もしたし///、いわゆる青春的なものを謳歌していた。ただ圧倒的にゲームが中心にあっただけ。部活には入らず毎日学校帰りにゲームセンターにいたしなぁ。

終わりに。香川県の条例には賛成か反対か

僕の結論としては、

どうせ誰も守らないから、
ゲーム悪だけを切り取って伝えるのはやめて。

である。”制限”の真意を理解して教育する人がいればそれはそれで良いとは思うけどね。まぁ、頭ごなしに制限された場合は背徳感あってゲーマーは割と燃えるかも笑。そんでもって、この条例が出来て少し年月が経って、香川県からプロゲーマーとかゲームクリエイターとかがゴリゴリに排出されたら面白いのになと思った。

一方大阪ではこんな記事も出てたりね。依存症だったり、不登校克服あったり、、、

ゲームってーやつは大変だ。

ではまた!

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