私は後藤ひとりが嫌いだ
ぼっち・ざ・ろっくを観た。
アニメとしては好きだ。
後藤ひとりのことは嫌いだ。
高校入学後、ギターや缶バッチを付けて登校し、誰かに話しかけて貰おうと最大限の他力本願の姿勢である後藤ひとりが嫌いだ。
虹夏ちゃんにライブに出てくれる様に頼まれ、了承したのに出演直前でごねる後藤ひとりが嫌いだ。
悪目立ちしたくない思いが人一倍強いのに、道で倒れ込んだり、ライブハウスの前で蝉のお墓を作るなど意思と行動が乖離している後藤ひとりが嫌いだ。
文化祭のライブで三曲演奏するはずだったのに、突然意味不明にダイブして一曲ぽしゃった後藤ひとりが嫌いだ。
そもそも結束バンドができたのが虹夏ちゃんが本当にいい子だからに尽きる。もし虹夏ちゃんとリョウさん2人でライブに出たら、後藤ひとりはずっと押し入れでギターを弾いてるだけだった。ぼっちはロックしなかった。
私は"人見知り"が嫌いだ。
新しい学校、新しいクラスで自己紹介をする機会が誰しもあったと思う。
そしていつだっているのだ
「人見知りなので、気軽に話しかけてください」
と軽々しく発言する人が。
人見知りって発言しておけば誰かが話しかけてくれる自動友達生成ワードとでも思っているのだろうか。人見知りだろうがなんだろうが、話しかけたいなって思われない、そもそもの魅力が無い時点でおしまいなのだ。貴方に話しかける時間が勿体無い。
しかもそういう人に限って、話しかけたところで何も弾まない。"人見知り"って免罪符をバカ高く掲げて話題を膨らます努力をしない。そりゃ誰も仲良くしようと思わないわで終わり。
そもそもなんで人見知りはマイナスの印象なのに自己紹介で発言するのだろう。冒頭にも言ったが、他力本願すぎる。自分から交流を深めようとする気が1ミリも感じられない。私は人見知りではないが、初めて会う人に話しかけるのが大好きとは思っていない。初対面の人と交流が楽しくてたまらないと思う人は少数派ではないだろうか。自分がしたくない苦労を意気揚々と他人に擦りつけるその精神が気に入らない。
後藤ひとりももれなくそうだが、人見知りは周囲からどの様に見られるかを執拗に気にしている人が多い気がする。
周囲に気にされている。その考えが既に傲慢だ。世の中の殆どの人は貴方に興味はない。貴方がぼっちだろうが、複数で行動していようがどうだっていいのだ。1人だろうがキョどらず堂々と生きればいいではないか。
故に人見知りの具現化後藤ひとりが最初から最後まで嫌いだった。見ててむしゃくしゃした。虹夏ちゃんや他の結束バンドメンバーがあんなにも優しくしてくれたからこそ成り立った物語だ。にじか•ざ•ろっくの方がしっくり来る。でもあれだけぼっち•ざ•ろっくが人気なら、思っている以上に世の中には後藤ひとりに共感できる人達がいるのかもしれない。
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