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泉まくら"balloon"の女の子は別世界線の私。


泉まくらさんとの出会いはCDジャケットだった。



大島智子さんの絵は繊細でアンニュイだった。
私は大島智子さんの描く女の子の様になりたかった。


そんな大島智子さんが
ジャケットを手掛けている泉まくらさん。
気にならない訳が無かった。

初めて聴いた泉まくらさんのアルバム。
モラトリアム期の匂いが詰まっていた。
特に一曲目の"balloon"は当時の私に刺さった。
それから泉まくらさんの歌詞に出てくる女の子
"まくらガール"に大きな憧れを抱いた。

さっきの緊張感無駄になる
せっかくの覚悟も揺らぎ出す

エッチな音だけ響く204号

あの娘の毎日がやけにドラマチックに
見え出してから急に笑えなくなったの

焦げる匂いに目が覚めて
飛んでく飛行機 急かされて
歩き出すけどなんだか憂鬱で
向こうから聞こえるブランコの軋む音と
引っかかった風船の行方と
何線で帰るのかも知らない君のことと

balloon-泉まくら


恋人ができ、初体験もした友達が急に
自分とは一線を画す存在の様に感じ、
劣等感や焦燥感から手に汗を握りつつも
住所も知らない男と寝るまくらガール。

大学生のあの頃、シたかシていないかは
目には見えない一線があったように
シてなかった側の私は思っていた。


でもきっとそんなものはなかった。



色々な人と致していた友達に
"焦らず自分を大事に、シたい人とすればいい"
大学生のあの頃、大人の階段を登った人が
哀れみでかけている言葉だと
シてなかった側の私は思っていた。


でもきっとそんな意図はなかった。



焦りか、嫉妬か、悔しさからか
住所もわからない男と寝る。
その勇気が当時の私には眩しかった。

まくらガールは未知の世界へ飛び込むために
自分を投げうることができる。
シてない側の人間故に
致す事にとても興味があり、
さらにコンプレックスの固まりだった私は
それをカッコ良く思い、強烈に憧れた。


"歩き出すけど、なんだか憂鬱で"


でもこの一文に結果が全て包括されている。
好きでもない男とシても幸せを感じられない。
あの娘の毎日がドラマチックに見え出したのは
好きな男との生活の上に行為があったからで、
行為そのものではなかった。
それがわかってさらに笑えなくなった。


この曲があったから
私は振り絞らなくてもいい
勇気を消費すること無く、
モラトリアム期を過ごせた。

今はそれで良かったと心から思う。


でも、その時にまくらガールと
同じ行動をしていたなら
私はどうなっていただろうか。



色々な人と致していた友人は言った

"許されるうちに、
なるべく沢山の人と寝たいの"


もしかすると私も感化され、
手当たり次第自分の興味が湧いた人と
致していたかもしれない。
自分を削って、新しい刺激を求める暮らし。
それはそれで面白い人生だったかもしれない。
実際、その様な生活を送っていた人は
そうではないと言うかもしれないけれど
でも行動を起こせなかったからこそ、
キラキラしたものに感じていたのだ。




私が手に入れられなかったもうひとつの世界。
別世界線にいる私への憧れは
消化される機会を失い、今も消えない。







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