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親ガチャ失敗しても私立美大を乗り切る方法|小宅紫音

万が一親が読んでしまった時のために先にタイトルの言い訳をさせてください!学費は出して貰えなかったけど特に恨んでないし親ガチャ失敗とか全然思ってません!いい経験が出来ました。おとうさんおかあさんだーいすき♡

これを書こうと決めたきっかけは、私が親からのサポートは特になく仕送り無しで奨学金やアルバイトで学費を払ったため、たとえ予備校の学長にそんなの絶対無理と言われたり、予備校講師に体力的にきついよと散々言われたとしても、「こういう選択肢をとった人も実在する」と知ってもらいたかったからです。

それでは、親ガチャ失敗勢がどのように美大受験を乗り切り、金持ちだらけの私立美大をどうやって切り抜けて、今の至るのかを順を追って説明します。



家庭スペックについて

毒親ではないけど、太くもない。大学の学費は奨学金で全額自分で何とかするように言われて高校は入学しました。(ここでの毒親とは生活費までギャンブルに使い込むような人のことを指しています。)

ピアノ、習字、学習塾、こどもちゃれんじとか習わせてくれたし、美術予備校も行かせてくれた。(予備校については下で詳細書いてます)

ある程度の家庭ではあるが栃木の田舎で祖母祖父の近所に住むことで成り立っていた家庭だと思う。
海外旅行はもちろん行ったことないし、家族みんなインドアのゲーマーだったので、帰省以外で家族旅行に行ったことがない。代わりにDSを買い与えられた。

栃木県出身、三姉妹の真ん中。


美大に入る前


大学について親はほぼ干渉せず乗り切った三つのポイント。

・予備校について
・学力
・結局はガッツ

予備校について

高校2年の9月くらいから、平日は毎日。長期休みの講習も通いました。

美術部の友達に影響されて美大にしようと軽く決めてしまったのですが(コラムに追記あり)、美術部の友達が予備校に通わないと美大は無理と教えてくれたため、自分で調べて自分で見学しに行って資料を貰って帰りました。

ちなみに、栃木県大田原市には美術予備校など存在しないので、片道1時間かけて、宇都宮の♡KILALA美術学院♡に通ってました。

親ガチャ失敗勢がまずは気にする予備校の学費面ですが、今まで習ってたピアノを辞めて、その分の学費を出してもらってました。あとは積み立ててもらってた学資保険を使って通いました。
足りない分は、休みの日に高校に秘密でバイトして小遣い程度少し賄ってたところもあります。私は土日は引っ越し屋さんでバイトしてました。

ちなみに・・・
学資保険もないし貯金もないし予備校すらキツい人は・・・

①長期休みの講習会だけは参加する
②デッサンか平面を毎日やって美術の先生に毎日見てもらう

上記2点は最低でも守った方がいいです。
ここでの大事なことは自分は圧倒的ド下手な絵を描いていると自覚することです。
学校で一番絵が上手いくらいの実力で自分の絵が最高に上手いと錯覚し、比較検証ができない馬鹿は受かりません。比較検証する場として予備校が確実だから予備校はすごいのです。

予備校に通い始める時期についてですが、私は高校2年生の9月から通い始めて、ギリ受かりましたが、
同級生の中には3年の夏から通い始めて現役合格してる人もいます。予備校には長期講習の時だけ参加してた現役合格者もいます。
よくいる、2年夏から週5で通って〜みたいな人以外でも合格者はいるので、通い始める時期が遅いから受からないとは限りません。

また、ド田舎から通ってたので、開始時間に間に合わず人よりも30分遅れて授業を受けていたので、遅刻のおかげで作品を作るスピードが格段に早くなったと思います。このスピードには本番も助けられました。これは親ガチャ、というかド田舎生まれに感謝です

また、自分的には私立専願カリキュラムにしたことは現役で入学することに必要だったと思います。

・藝大と私大の試験内容が全然違うのにどちらも勉強してどちらも受かる自信がなかった
・グラフィックデザインを学びたかったので私大の方が自分に合ってた

私大専願の現役なら結構いけます。やりたいことがはっきりしてて、デザイン科を目指してる人は最初から私大現役合格しといた方が、結果的に安上がりになると思う。まあ、私は浪人絶対だめって言われてたし金もないし、しょうがないからこうするしか無かった。これは家庭や自分のスペックによるので、あまり参考にしなくて良いかも・・・

あとはまあ、教師はランチ一緒に行ったり卒業後も飲みに行くくらい仲良しだし、授業後は一緒になか卯でご飯を食べてくれる仲良い友達がいて、毎日本当に予備校が楽しかったのが大きかったなーと。

学力について

予備校に行ってて、Pinterestとか合格作品とかを沢山集めて沢山練習したら私大の実技試験自体は結構なんとかなりますが、
そう思えるのも冬期講習終わってからくらいだと思う。

絵で自信がつくのは受験ギリギリ。
つまり、金銭面の余裕がないのに学力も余裕無かったらメンタルが死にます。

私は絵が下手でも学力には余裕があったから追い詰められること無く絵を頑張れてました。

目安として、私は偏差値60程度の公立高に通ってました。
英語も現代文も得意だったので、多摩美の学科試験は過去問や模試も含めほとんど満点近く取ってました。日本語だから現代文は何とかなるし、とりあえずちょっと難しい漢字を覚えるようにしたのと、電車では常に英語の勉強してた。

正直、私立美大の学科試験程度の努力もできない親ガチャ失敗勢は入学後色々と余裕なさすぎて多分挫折するので、自分の地頭や器用さ、努力値を知る良い指標になると思います。

結局ガッツ

帰宅後したらもう10時半とか。放任主義の親は帰宅したら既に寝てたから自分で夕飯作ってたし、片道徒歩20分電車40分だったので、体力的にはキツい人もいるかも。
デッサンで使った人参とか玉ねぎ貰って帰って夕飯作ってたなー。

講評がある日とかスケジュール違うけどだいたいこんな感じ👇👇

ー21:00 予備校おわり
ー21:30 友達と話したり、なか卯に行く
ー22:30 帰宅
ー23:30 ご飯、風呂
ー24:00 就寝

私はドポジティブなので、徒歩は運動になるから嬉しかったし彼氏とのデートがそれだけだったので良かった。(コラムに追記あり)
あと、電車が強制勉強時間になってたから結果的には良かった。

中には1年の頃から予備校に通ってる人もいたから、私は圧倒的に下手で、最初は本当に絵が下手で恥ずかしかった。
クレセントボードで合格最低レベルの手のデッサンが出来るようになったのは受験当日だった。受験前最後の授業の日に見た友達の手のデッサンを見て学んで、それを本番で実施したらギリ受かった。多分デッサン点数7.5割だったと思う。
でも逆に、ギリギリまでなんとか食らいつけば受かるんです

高校は普通科だし自称進学校だから国公立至上主義だし、私は提出物や課題を出さないのに授業中は寝るか内職か携帯でマジで教師から嫌われてたので
(全て私が悪い)心を強く持って周りと違うことをやってる自分に自信を持つことが大事だったな。
日本史の時間は手のデッサンの練習してた。その代わり、高校最後の定期試験での日本史の点数は18点でした。
3年の1月は堂々と学校休んで入試直前講習に行ってたので担任にキレられました。卒業できる出席日数だったかも怪しいけど卒業出来たのでヨシ!

2023.5.28追記
・今月友人から聞いたのですが、担任は休んで予備校に行ってる私のことを心配して友人に様子を伺っていたらしく、そんなことを四年越しに聞いて本当に担任に恵まれたと思ってます。本当に卒業できたの奇跡


美大入学後

まず前提として、入学金含め4年間の学費も全て奨学金です。在学中は基本仕送り無し。家賃光熱費生活費全て実費。
そんな4年間を生き抜いたポイント三つ。

・アルバイト編
・課題編
・人間関係編

アルバイト編

結論、生活費と画材費をアルバイトで賄うことは可能です。

1年生:いきなりステーキと短期バイトと家庭教師をほぼ毎日
2年生:家庭教師と塾講師とガールズバー
3年生:塾講師とフリーランスデザイナー
4年生:完全にフリーランスデザイナー

他にも色々バイトしたり業務委託したりこれだけじゃないけど、まあ参考程度にこんな感じだったかなあ。

基本的にアルバイトは1日5時間を週4~5、シフト入れなかった日は短期バイトで適当に応募してた。
飲食系辞めてから家庭教師を始めて、家庭教師は1日2~3時間を週5、塾講師は2コマを週2か週3、夏期講習の時期は期間中毎日。
バニーガールはすぐに辞めたけど、5時間を週3くらいだったかな?

選ぶ基準としては、時給1200円以上は絶対だった。家庭教師に関しては時給1500円、塾講師は集団だったので時給3500円超えてたと思う。学力があったら家庭教師や塾講という時給の高いバイトもできるので、勉強はできるに超したことないのです。
段々とフリーランスになれるように頑張ったけど、それまでは結構時間も体力もキツかったかも。でも全然やって行けてたし、たくさんの経験からコミュ力も自信も生まれた。
ただ私は奨学金という名の借金が怖かったので、就活のためにだんだんバイトよりはデザインの仕事を増やしました。仕事を増やす方法は後日noteにまとめるかも。

ちなみに1ヶ月の暮らしの内訳はこちら

内訳
ーーーーーーーーーーーーー
家賃・・・・4万円
光熱費・・・1万円
食費・・・・2万円
交際費・・・1万円
雑費・・・・1万円
ーーーーーーーーーーーーー
合計・・・・9万円

最初の頃は奨学金をフルで借りて学費は払ってたので、合計9万円稼げば1ヶ月暮らしていけたから、生活費に関しては問題なかった

ちょっと欲しいものあるときは多めにシフト入れてたかな。まあ、常に欲しいものがあったし1,2年の時は画材も買う必要が沢山あったから、多分必要な月は10万以上稼いでたかなあ。

この2年間は旅行に行ってない。一応、帰省する度に1万円くらいお小遣いを貰い、お年玉は毎年合計2万円程度貰ってた。

ある程度自由に暮らせてる今、この生活を思い返してみたらやっぱり苦学生かも。でもそれもいい経験だったし、どうせインドアだから楽しかったな。

3,4年生になってからは一部を給付奨学金に切り替えたりして、少し足りない分は自分で補ったりしたけど、このくらいになると旅行も行ったし、仕事の出張ではあるけどフランスにも行って、割と自由にお金使えてた。
お金ができたのでお酒飲み始めて、飲み会とかも行くようになったかな。

実は、コロナのおかげでこの暮らしができていたとも思う。
オンラインでフルタイム働けるようになり、大学もオンラインになり、時間の融通が効くようになった。
そのおかげで実務経験が増えて、就活は全く困らなかった。(就活については下記で詳細あります。)

今はもっとオンラインの仕事が増えてきたからもっと働きやすいと思う。いいなー。

2023.5.28追記
・体を壊したときと就活中は流石に親が仕送りをくれました。感謝。コロナ給付金もマジでありがたかった。というのもあってギリ扶養内でした、税金の支払いがあったら無理だったと思うからお金の計算とかそういうの本当に大事

課題編

課題で忙しいのは1,2年だったし、フリーランス始める前でバイトがいちばん忙しかったのも1,2年なので、その時期の話をします。3,4年は忙しさというよりメンタルとの戦いなので、そのうち別にnoteにまとめるかも。

驚いたのが、まず同級生の画材のレベル。私は金がないので安いパレットに安い絵の具だったけど、実家が太い同級生はとんでもない色数にとんでもない高そうなパレット使ってた。まあ弘法は筆を選ばないので問題ないです。

親ガチャ失敗勢が課題をするときのポイントは、

・外注せず何とか自分で安い方法でやってみる
・何もやってない時間をなくす

当たり前ですね、金がないのでポスターや本は外注せず自分で印刷します。時間に関してはTwitterは消せなくてもYouTubeは消しました、カップルYouTuberとか見ても金は増えないし実力も増えないので……。

あと単純に思い返して貰いたいんだけど、時間は無いと思いがちだけど、何もやってない時間は案外沢山ある。

どうせ金なくて旅行とか行かないし、バイト行った日の方がアドレナリン出てるから、家でゴロゴロしてた日よりも効率よく課題できる。家事してる時だって、食器洗いながらコンセプト考えれるし。
バイト中もコンセプトとかデザインどうするか、バイトで接客してない間に考えてほとんど頭の中で課題は完成してた。あとはそのデザインをどうやって出力するのか、ネットみながらイラレとかフォトショをいじるだけ。

あとはまあ、妥協も大事。出さなくていい課題はギリギリまで出さなかった。GPAとか就職に関係ないしって言い訳をしながら。確かに最初は学校の優秀者に選ばれようとか思ったんだけど、こんなレベルの高い大学で優秀生徒に選ばれるのは可能性が低かったので、それよりも低コストで効率よく働けるようになる能力を培う方に注力しました。これが正解なのかはわからん。

人間関係編

親が有名人とか、世田谷区に一軒家を持ちお小遣いは好きなだけ貰えてハイアットに親とよく行く、そんなひとがゴロゴロいるのが美大でした。私はそういう人よりも、家で映画見ながらだべったり、終わらねーって叫びながら一緒に課題をやれる友達と4年間仲良くしてもらいました。

課題とかアルバイトとか長々と語って時間が無い人みたいに見えるかもしれないけど、ちゃんと彼氏もいたしディナーとか行けてた。映画見に行ったりもしてたし、長期休みに海に行って朝日見るみたいな青春はやったから安心して欲しい。

人間関係は人によって様々なので割愛しますが、ここで言いたいのは、苦学生でも人間としての最低限の生活は余裕で送れます。
育ちの良い方々は心に余裕があり貧乏人にも優しいのでそこまで人間関係で悩むことはないので、普通に過ごせます。

就職活動

まじでいくら借金あると思ってんすか?給付奨学金もらったり色々したとはいえ、3桁万円の借金があるので、就活はガチになりました。
やりたいこと、自分の得意なこと、高い給料、この3点は外さなかったかな。

就活でのポイントはこちら

1. 比較こそ成長に繋がる
2. 広い目を持つ
3. 早めにコツコツ
4. 自己分析について

正直、全て苦学生じゃないひとにも当てはまるアドバイスで当たり前のことしか書いてないです・・・。

1. 比較こそ成長に繋がる
受験と同じでした。自分を色々な人と比較して、自分の足りないことや向いていることを自覚します。

2. 広い目を持つ
そして、多摩グラにいると広告至上主義の偏屈な人間になりがちですが、一般大の友達を作って話したり、経済を真面目に学ぶなどして広い目を持つことが大事です。案外やりたいことは他の領域の方が適しているかも。

3. 早めにコツコツ
美大のひとは年生になってから就活を始める人も多いのですが、私は2年の終わりから意識し始めて、3年になってから本格的にポートフォリオを作り始めました。3年の11月にはエントリーできる状態にして、年明けにエントリー、3年の3月に内定でした。早めにいい企業に自分を売り込まないと借金も莫大なのに就活留年なんてしてらんないです。

4. 自己分析について
自己分析についてですが、自分の得意不得意を分析するのはもちろん、なぜ自分がここまで1人でやってこれたのかを考えるだけで、親ガチャ失敗私立美大生は十分ガクチカになります。私の場合はコツコツと努力して成長したことをそれらしい経験とともに書きました。奨学金で美大の学費を出して生活費も全部自分で工面なんて中々いないので、それだけで面接は話が盛り上がって楽しかった。


就活はメンタルとの戦いだし、どの分野を目指すかによって全然違うと思うけど、親ガチャ失敗して時間無くても就活は成功したから安心してほしい



以上、親ガチャ失敗しても私立美大を乗り切る方法でした。

多摩美に入学したことを全く後悔してないし、就活も頑張ったから、奨学金は20代のうちに頑張れば返し終わる目処がたってます。大学で学べることは全て学びきったと思ってます。たまびだーいすき♡

まとめるほどでもないけど、こういうのも美大を乗り切るのに必要だったな・・・というようなエピソードをコラムでまとめてます👇

コラム


今でも感謝してるカミゾノ先生

予備校は先生の教え方が分かりやすくて、
例えば平面は見せ場さえ作って構図を大小で分けれるように作ってクオリティあれば大丈夫だから。みたいな感じで、いい絵を教えるというより「受かる絵」を教えてくれてたのが私にはとても合ってた。結果的にその基礎が身についたおかげでデザインする時やイラストを描く時も構図に困らなくなった。「受かる絵」には意味があって後々活きるので、深いことを考えずに受験絵画を徹底するのが今後に活きる。

恋は受験を救う

受験生の時、近くの塾に通ってる男の子と付き合ってたから、その人と歩いて帰るために遠い予備校も頑張って行ってた。彼は親が厳しすぎて彼女いること親にバレてから携帯も取り上げられてしまい、それ以降会うことは無かったけど、それでも彼が頑張ってるから私も頑張ろう❣️みたいに純粋に可愛く受験頑張れたので、恋する乙女の力ってすごいと思う。彼も今頃いい加減大学受かってますように……

恋は受験を救うパート2

武蔵美の国語試験で元彼の名前の漢字が出てきて書けた。ほんとに漢字筆記が苦手なので、元彼のお陰で合格最低ライン取れたと言っても過言ではない。ありがとう、、

休息が合格に直結した話

趣味で映画を見てたら、その内容がそのまま多摩美学科試験の英語の長文読解で出ました。タイムマシンっていう映画の原作がそのまま。ほぼ読まずに解いてほぼ満点だったと思う。ちなみに私の前の年もベンジャミンバトンっていうみたことある映画の内容が試験に出てたから、過去問やった時は、この年だったら英語試験無双できたのに!って無茶苦茶悔しかったけど、結局私の年も知ってる内容で無双できて嬉しかった。

学費に乗った話

そう、うちの場合は父親は金持ちだけど教育方針で学費を出してくれないだけだったので、うちにはGTRというスポーツカーが2台ありました。そして、2年生の頃、実家に帰省したら新しいGTRがまた増えてました。価格とか調べて悔しくなり、「ワーこれが学費かー、私は学費に乗ってる〜!」といいながら助手席で動画を撮ってたら父親にキレられてしまいました。
結果として、仕送りなしで私立美大を乗り切ったという経験は自分を強くしてくれたので良いのですが、あの時は結構悔しかったなあ。

父親のせいでもあり、父親のおかげでもある

父親の教育方針のせいで奨学金を借り、必死に毎日アルバイトすることになったのは事実、父親が会計士なのでお金の計算には困らなかった。これで確定申告とか色々あったら春ごろはメンタルが死んでいたかもしれない。

家族関係について

父親とビール飲んだ時、昔は3人の娘を養うために必死だったって話してくれた。姉が思春期になり始めた頃、姉と父の関係が超悪くなり、姉から父の愚痴を聞き父のことが苦手になってた。今思えば家族養ってるのに娘に嫌われて最悪に可哀想だったと思うし、色々と悪循環だったと思う。今は家族みんな仲良くできてるからよかった。

なぜ私が頑張れたのか

そもそもなんで私が美大こんなに頑張れたのかって話になるんですけど、私別にやりたいことなくて、高校の時にみんなそうだと思ってたんです。
でも意外にみんな夢がちゃんとあったり、楽しいと思うことがあったりしてて。ほんとに?歴史を勉強して楽しいと思うの?って驚いた。
私が楽しいって思うことは美術だけだなあと思ってたら美術部の友達に美大の説明会に誘われ、そこでどっかの美大の先生に美大の良さを語られ、それで目指し始めました。
やりたいこともないし、私が頑張れることはこれだけだったし、なんかデッサンも平面構成も全部めちゃくちゃ楽しかったから辛いと思ってなかった。むしろ上手く書けない時は悔しくて悔しくて、沢山練習した。多分、好きこそ物の上手なれなんだとおもう。楽しいから頑張って、楽しいから成功したいと思って、気づいたら今だった。

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